お城とかの写真集日本100名城大河ドラマ『鎌倉殿の13人』栃木県 源義康足利氏宅跡栃木県足利市足利氏館鑁阿寺足利義康足利義兼足利義氏 【足利氏館】寺だけど城です!室町幕府・足利将軍家の聖地【鑁阿寺】(栃木県足利市) 栃木県 2022.08.052022.09.24 Data 築城:1100年代半ば?1200年前後?築城主:源みなもとの(足利あしかが)義康よしやす?足利義兼よしかね? 主な城主:足利義氏よしうじ所在地:栃木県足利市家富いえとみ町ちょう 所要時間:60分 Point ■室町幕府の歴代将軍を務めた「足利家」の居館跡(※館も城の仲間)◯足利家の祖「源みなもとの義康よしやす(足利義康)」 ・源頼朝よりともや徳川家康とくがわいえやすなどと同じ清和源氏(清和天皇をルーツに持つ源氏一族) ・足利の地を与えられたことで、足利家がスタート ・1100年代半ばに居館として築いたとされるのが「足利氏館」◯足利家の2代目「足利義兼よしかね」 ・源義康の息子、妻は北条ほうじょう時政ときまさの娘、北条義時よしときとは義兄弟にあたる ・鎌倉幕府の有力御家人で、足利氏館を築いたのは足利義兼とも ・1196年(建久7年)に大日だいにち如来にょらいを奉納した持仏堂、堀内御堂を建立 →これが、現在も館跡に残る「鑁ばん阿な寺じ」の始まりと伝わる◯足利家の3代目「足利義氏よしうじ」 ・足利義兼×北条時政の娘の息子、妻は北条泰時(義時の子)の娘 ・こちらも有力御家人で「鑁阿寺」を整備したとされる →以降は「館」ではなく「寺」として機能 ※足利家の8代目にあたるのが、室町幕府の初代将軍「足利尊氏たかうじ」■鑁阿寺の周囲には、館の名残である土塁や水堀が巡らされている■境内には鎌倉時代の建築物も残り、本堂は国宝に指定されている パラメーター(5段階) 防御力 ★★★映えレベル ★★★知名度 ★★アクセス ★★足利聖地度 ★★★★★ 重厚感たっぷりの「太鼓橋と山門」(鑁阿寺の南側の入り口) 鑁阿寺の周囲に残る水堀・土塁(境内に館の遺構はないので、要チェック!) 鑁阿寺の周囲に残る水堀・土塁2(右奥の林は日本最古と言われる「足利学校」) 鑁阿寺の周囲に残る水堀・土塁3(先ほどの写真とは反対側) 「太鼓橋と山門」2 境内から見た「山門(楼門)」(1564年に再建されたもの!) 山門(楼門)と太鼓橋(反橋)の案内板(再建したのは私の大好きな足利義輝!) 鑁阿寺の案内碑(足利義兼が寺を開基、足利義氏が整備した旨が記されている) 鑁阿寺の境内(奥に見えるのが国宝の「本堂」) 国宝の「本堂」(御開帳が行われる5月の春祭りに行ってきました) 国宝の「本堂」2(ゴールデンウィークなので観光客がたくさん!) 本堂の案内板(鎌倉時代後期の1299年[正安元年]に再建されたもの!) 鑁阿寺の名物「大銀杏」(寺伝では足利義兼のお手植えと言われる) 大銀杏の案内板(樹齢は約650年と考えられている!) 「北門」(もとは鑁阿寺の外に建立された千手院の山門だったそう) 北門の案内板(1845年[弘化2年]に建立されたものが移築現存!) 本堂の西隣にある「中御堂」(不動明王を祀るので「不動堂」とも) 中御堂の案内板(安土桃山時代の1592年に再建されたもの!) 中御堂の西隣の「経堂」(国の重要文化財に指定されている!) 経堂の案内板(1407年に再建、堂内には歴代の足利将軍の木像がある!) 経堂の南側にある「多宝塔」(1629年に再建されたもの!) 多宝塔の案内板(1692年に桂昌院が建立したと伝えられていた) 「鐘楼」(再建時期は不明だが鎌倉時代の特徴が見られるらしい!) 鐘楼の案内板(梵鐘は江戸時代中期の元禄時代のもの!) 「東門」(室町時代中頃の1432年に再建されたもの!) 東門の案内板(貴重な建築物がたくさん残っているのが分かる!) 足利氏館の100名城スタンプ 水堀の亀