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【箕輪城】復元された城門と木橋!武田信玄を6度退けた“上州の黄斑”の居城(群馬県高崎市)

Data

築城:永正えいしょう年間(1504〜1521年)頃
築城主:長野ながの業尚なりひさ?長野憲業のりなり

主な城主:長野業政なりまさ、長野業盛なりもり内藤昌豊ないとうまさとよ井伊いい直政なおまさ
所在地:群馬県高崎市 箕郷みさとまち東明屋ひがしあきや

所要時間:150分

Point

上野こうずけ(群馬県)の有力な国衆くにしゅうで、関東管領かんとうかんれいの上杉家に仕えた「長野家」の居城!
→長野家のルーツはイケメン歌人の在原業平ありわらのなりひら(平安時代前期の公家)とも
■“上毛じょうもう三山さんざん”の1つ「榛名山はるなさん」の裾野の東麓(榛名白川はるなしらかわの東側の台地)に築かれた
→築城主は長野業尚なりひさか、その息子・憲業のりなりとも言われている
■戦国時代には、後に“上州じょうしゅう黄斑おうはん(虎)”と称された「長野業政なりまさ(正)」が城主を務める
・長野憲業の息子ともされるが詳しくは不明(厩橋ばやばしの長野家からの養子とも)
・武田信玄を6度も撃退したと伝わるが、実は当時の史料からは確認できない…
■長野業政の死から5年後の1566年(永禄8年)、武田たけだ信玄しんげんに攻められ箕輪城は落城
→息子の長野業盛なりもりは一族や家臣と共に自害、長野家は滅亡した
■その後は「武田家→北条家→徳川家」の支配下となり、重臣が城主に就任
・武田時代=内藤昌豊(昌秀)、内藤昌月まさあき(昌豊の養子)
・北条時代=内藤昌月(武田滅亡後に北条家に従った)、北条氏邦うじくに(氏政の弟)
・徳川時代=井伊直政(北条滅亡後に関東に移った徳川家康から任命)
■井伊直政が大改築するも1598年(慶長3年)に「高崎城」に拠点が移って廃城に
■2018年から整備が始まり、城門や木橋が復元されるなど、現在ホットな城跡!
(木橋が復元されてからは、まだ行けてないので、木橋は写真ありません)

パラメーター(5段階)

防御力     ★★★
映えレベル   ★★★
知名度     ★★
アクセス    ★★
信玄撃退回数      ★★★★★★

国指定史跡 箕輪城跡の木橋が完成 高崎 | 上毛新聞社のニュースサイト
国指定史跡、箕輪城跡(群馬県高崎市箕郷町東明屋)で市教委が整備を進めてきた本丸跡と蔵屋敷跡の間に架かる木橋が完成し、29日に記念式典が開かれた=写真。関係者約40人が出席し、完成を祝った。木橋は...
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