Data
築城:1053年(天喜元年)?
築城主:成田助高(隆)?
主な城主:成田家時、成田顕泰、成田親泰
所在地:埼玉県熊谷市上之
所要時間:40分
Point
■忍城(行田市)の城主として知られる「成田家の発祥の地」
⇒このあたりの地名が「成田」だったことが名字の由来とされる
■平安時代後期から室町時代後半に忍城に移るまで約400年も成田家の居城だった!
■成田家のルーツは諸説あって不明…
⇒藤原氏の末裔?藤原道長の子孫?横山党(武蔵国の強力な武士団)の系譜?
※龍淵寺に伝わる系図だと初代は「藤原忠基」(平安時代中期の公家?)
■「成田」を初めて名乗ったのは平安時代後期の5代目「成田助高(隆)」?
⇒12代目「成田家時」が1411年(応永18年)に「龍淵寺」を館の北に創建
⇒14代目「成田顕泰」が忍城を築き、15代目「成田親泰」が居城を移した?
※館跡の西側には成田泰蔵(親泰の孫)が再興したという「泰蔵院」が残っている
■ちなみに、石田三成に忍城を水攻めをされた時は17代目「成田氏長」(親泰の孫)
⇒城代となった“のぼう様”こと「成田長親」は成田氏長の従兄弟にあたる
※◯代目の数え方も諸説ありなのでご参考までに!
パラメーター(5段階)
防御力 ★
映えレベル ★
知名度 ★
アクセス ★★
牛の数 ★★★★★



〈①成田家は藤原鎌足の末裔かも
②平安時代後期の天喜元年(1053年)に成田助高が築城?
③成田親泰が忍城に移るまで400年以上も成田家の居城だった〉








![「龍淵寺梵鐘」(成田氏長の没後200年を記念して寛政8年[1796年]に成田家臣の末裔たちが鋳造した鐘)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/CIMG9386-1-1024x768.jpg)








