築城:1504年(永正元年)
築城主:島立貞永(小笠原家の一族)
主な城主:馬場信房、小笠原貞慶、石川数正
所在地:長野県松本市 丸の内
所要時間:120分
■信濃(長野県)の守護を務めた小笠原家の支城として築城されたのが始まり
◯築城主「島立貞永」(通称は「右近」)
・小笠原家の一族で、主君の「小笠原貞朝」に命じられて築城
・当時の名は、現地の地名が由来の「深志城」だったと伝わる
※小笠原家のルーツは清和源氏で、もとは甲斐(山梨県)の武田家の分家にあたる
■1550年(天文19年)に「武田信玄」が信濃に侵攻!
・小笠原家の本拠地の「林城」(松本市)と共に、深志城も陥落…
・「馬場信房(信春)」が城主となり、整備が行われたという
※当時の当主は「小笠原長時」(貞朝の孫)で、京都に逃れた後に会津で死去
■1582年(天正10年)の武田家滅亡後に「小笠原洞雪斎」が深志城を奪還
・小笠原洞雪斎 → 小笠原長時の弟、「上杉景勝」に保護されていた
・しかし、家臣の反発を受けて追放され「小笠原貞慶」が新たな城主となる
◯「小笠原貞慶」
・信玄に滅ぼされた小笠原長時の息子、追放された小笠原洞雪斎の甥
・徳川家康の家臣となって深志城の城主となり「松本城」と改名!
■1590年(天正18年)に徳川家康の転封に伴って小笠原秀政(貞慶の子)も古河へ
→代わりに豊臣秀吉の家臣の「石川数正」が城主となり近世城郭へ大改築!
→「石川康長(数正の子)」の代に1595年(文禄4年)頃に現存する天守が完成!
■江戸時代の歴代城主は「小笠原→戸田→越前松平→堀田→水野→戸田」
■1872年(明治5年)に現存の天守などが競売にかけられる…
→地元の名主で新聞社の社長でもあった名士「市川量造」が買い戻す
■現在は本丸と二の丸が「松本城公園」として整備されている
→犬山城、彦根城、姫路城、松江城と共に天守が国宝に指定!
防御力 ★★
映えレベル ★★★★★
知名度 ★★★★★
アクセス ★★★
水堀とのコンビ力 ★★★★★





































![太鼓門の「玄蕃石」(石川[玄蕃頭]康長が不満を言った人物を斬り、その首を槍先に掲げて自らが乗って運ばせたと伝わる石)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/08/20140905_121458-1024x576.jpg)











