お城とかの写真集日本100名城山形県 保科正之羽州の狐二の丸東大手門本丸一文字門山形県山形市旧済生館本館山形城霞城霞ヶ城最上義光斯波兼頼鳥居忠政 【山形城】東北屈指の巨城!霞によって姿を隠した“羽州の狐”の城(山形県山形市) 山形県 2022.07.112022.08.15 Data 築城:1357年(延文えんげん2年)築城主:斯波しば兼頼かねより 主な城主:最上もがみ義光よしあき、鳥居とりい忠政ただまさ、保科ほしな正之まさゆき所在地: 山形県山形市霞城かじょう町まち所要時間:150分 Point ■南北朝時代の1357年(延文えんげん2年)に「斯波しば兼頼かねより」が築城したとされる ・斯波家…足利将軍家の一族、紫波しわ郡(岩手県)を領地にして「斯波」を名乗る →斯波兼頼が最上もがみ郡(山形市周辺)を領地として「最上」を名乗る!■11代目の「最上義光よしあき」が慶長けいちょう年間(1600年前後)に改築されて、三の丸が増設される ・最上義光…出羽を統一、関ヶ原後に57万石に、伊達政宗は甥にあたる ※“羽州の狐”という異名があるが、史料的にはソースは無し■別名は「霞城かじょう」「霞かすみヶ城」! →“北の関ヶ原”と呼ばれる「慶長出羽合戦」で霞がお城を隠した伝説が由来 →三の丸の城門が11口(十・一・口)あったことから「吉字きちじ城」とも■最上義光の孫(最上義俊)の代に御家騒動(最上騒動)が起きて最上家は改易■江戸時代は様々な家が城主を務める ・歴代城主[鳥居、保科、越前えちぜん松平まつだいら、奥平おくだいら松平、奥平、大給おぎゅう松平、秋元あきもと、水野] →最上家の後の「鳥居忠政ただまさ」は徳川家康とくがわいえやすの重臣で伏見城で討死した鳥居元忠の息子 →「保科正之まさゆき」(徳川秀忠ひでただの子)は会津あいづの鶴つるヶ城に移る前に山形城主を務めた■山形領の石高は減少して、日本屈指の規模だった城郭の維持が困難になり規模は縮小 →幕末になると、二の丸に御殿、本丸は更地、三の丸の半分は田畑になっていたとも パラメーター(5段階) 防御力 ★★★映えレベル ★★★知名度 ★★★アクセス ★★★★現在の大改築度 ★★★★★ 「霞城公園」の案内板(二の丸・本丸が公園として整備されている!) 復元された「二の丸 東大手門」(江戸城を彷彿とさせる重厚感!) 「二の丸 東大手門」を少し引きで(手前の橋は「東大手橋」) 「東大手橋」の北側の水堀と線路(JR線や新幹線が通る!) 「東大手門」の南側の水堀と線路(この先に山形駅がある) 「二の丸 東大手門」の高麗こうらい門(高麗門は枡形虎口の最初の城門の形状の定番) 「二の丸 東大手門」の櫓門(櫓門は枡形虎口の奥の城門の形状として定番) 二の丸の内部から見た「二の丸 東大手門」の櫓門(映画やドラマのロケ地にも) 二の丸から見た「最上もがみ義光よしあき像」と「二の丸 東大手門」 二の丸の「最上義光之像」(日本トップクラスにカッコいい銅像!) 「最上義光之像」2(最上義光は鉄製の巨大な指揮棒を使って戦った!) 二の丸にある築城主の「斯波しば兼頼かねより」のレリーフ(斯波家は足利将軍家の親戚) 二の丸の石垣の展示(こちらは石垣の作り方を教えてくれている!) 「山形城の石垣」の案内板(石垣は鳥居家の時代に本格的に築かれたらしい) 山形城の石垣マップ(縄張り図にもなっているので、ありがたい!) 二の丸の石垣のガイド(石垣に刻まれたサインに関する解説!) 「安政あんせい二 乙卯きのとう年 六月」と刻まれた石垣(安政2年[1855年]に積まれた石垣) 「安政二年の石垣石」の案内板(先ほどの石垣以外にも刻印が残る石垣がある!) 復元された「本丸 一文字門」と「大手橋」(本丸の東南側の城門) 「本丸 一文字門」の案内板(奥の櫓門が「一」に見えるのが城門名の由来) 一文字門を正面から(古絵図や発掘調査を基に復元された!) 大手橋から見た北側の堀と土塁(一文字門の周りだけ石垣が築かれている) 一文字門を南側から(贅沢を言えば、復元された奥の櫓門も見てみたい!) 一文字門を反対側から(左下は崩落した石垣の跡!) 「石垣の崩落跡」の案内板(鯱瓦や鬼瓦も発見されたらしい!) 一文字門を西側から(奥の石垣の下に崩落した石垣跡が見える) 「本丸 一文字門」の枡形の内部(石垣の上にかつて櫓門、奥が本丸にあたる) 一文字門を潜った先にある「本丸の井戸」跡 かつて御殿が置かれた「本丸」跡(現在は発掘調査が進んでいる) 一文字門の北側の土塁(奥は二の丸と本丸に跨って存在した野球場[現在は解体]) 本丸は復元整備中!(写真は2015年、野球場の撤去など整備が進んでいる) 本丸御殿の想像図(御殿の復元はないが2033年を目標に整備が行われている) 野球場跡の北にある「北不明門」(二の丸に入る城門の一つ) 二の丸の西の入り口「西不明門」(この先が三の丸にあたる) 三の丸側から見た「西不明門」(かつては木橋が架けられていたらしい) 二の丸の西側の水堀・土塁(クランク状の縄張りがよく残っている!) 二の丸の南西の隅から見た「南大手門」(二の丸の南側の入り口) 「南大手門」(攻撃しやすいように、左側の土塁が出っ張っている!) 「南大手門」をアップで(こちらも立派な石垣!) 「南大手門」の手前から見た東側の水堀(この先に線路がある) 「山形藩の藩主」(めちゃくちゃ城主が替わっている!) 「旧 済生館さいせいかん 本館」(1878年に建てられた旧•山形県立病院) 「旧 済生館 本館」の案内板(1969年に現在地に移築された)