大河ドラマ『どうする家康』お城とかの写真集愛知県 松平信広松平東照宮高月院徳川家康在原信重どうする家康松平氏館徳阿弥愛知県豊田市松平町松平氏遺跡松平郷松平太郎左衛門家諸国古城之図松平郷松平家松平親氏 【松平城】家康のルーツofルーツ!松平&徳川家、発祥の地【松平氏館・高月院】(愛知県豊田市) 愛知県 2023.01.182023.01.23 Data 築城:応永おうえい年間(1394〜1428年)?築城主:松平まつだいら親氏ちかうじ?主な城主:松平太郎左衛門たろうざえもん家(松平郷ごう松平家)所在地:愛知県豊田とよた市 松平町ちょう 三斗蒔さんどうまき 所要時間:120分 Point ■応永おうえい年間(1394〜1428年)に「松平親氏ちかうじ」が築城?◯「松平親氏」(家康の8代前の先祖)・関東で合戦に敗れて「徳阿弥とくあみ」と名乗り諸国を流浪るろう・松平に辿り着き、現地の豪族の「在原信重ありわらののぶしげ」の娘婿むすめむこになり後継者に・「松平 太郎左衛門たろうざえもん尉のじょう 親氏」と名乗り、松平(徳川)家がスタート! ※松平親氏ー泰親やすちかー信光のぶみつー親忠ちかただー長忠ながただー信忠のぶただー清康きよやすー広忠ひろただー徳川家康■松平信光(親氏の孫)が「岩津いわづ城」(岡崎市岩津町)に移るまで松平本家の居城に■本家が移転後は分家の「松平信広のぶひろ」(親氏の長子、信光の叔父)が城主に就任 →「松平太郎左衛門たろうざえもん家」(松平郷 松平家)がスタート!■松平城を詰めの城にして、北にある「松平氏館」を居館として使用 →松平城は戦国時代に改築されたが、文禄ぶんろく年間(1592〜95年)頃に廃城に?■松平太郎左衛門家は江戸時代には小禄しょうろくの旗本はたもととして存続 →子孫は大正時代まで松平氏館の場所で暮らしていた ・松平館跡と松平城の間の山に「松平太郎左衛門家」の墓所がある ・館跡には徳川家康を祭神とする「松平東照宮とうしょうぐう」が建つ◯「松平東照宮」 ・元は松平氏館の屋敷神やしきがみだった八幡宮はちまんぐうで、家康の産湯うぶゆの井戸が残されている ・1619年[元和元年]に家康、1965年には松平親氏が合祀された■松平城と松平氏館(松平東照宮)は、大給城と高月院こうげついんと共に「松平氏遺跡いせき」に指定 ※「高月院」…在原信重が創建、松平親氏などの墓が残る松平家の菩提寺ぼだいじ パラメーター(5段階) 防御力 ★★★★映えレベル ★★★★知名度 ★★アクセス ★★松平&徳川聖地度 ★★★★★ 「松平郷」の入り口(中央奥の山が「松平城」) 「松平城址」の案内板(奥の山が松平城、右に松平郷駐車場がある) 「松平城」の遠望(右の高台が櫓台) 「松平城」の登城口(細い道なので駐車場から徒歩で向かおう) 「松平城址」の案内板 「松平氏遺跡」の石碑(大給城、松平東照宮、高月院にもある) 松平城の縄張り図(尾根伝いに大きく4つの曲輪に分けられている) 「曲輪2」に向かう途中の土塁に挟まれた登城道 「曲輪2」の虎口(右に進むと「曲輪3」がある) 「曲輪2」(細長く広々とした空間が突然出現!) 「曲輪2」の内側から見た虎口(右に進めば登城口、左に進めば「曲輪3」) 「曲輪2」から見た「主郭」(曲がった登城道がたまらん!) 「主郭」の虎口から見下ろした「曲輪2」(登城道、斜め!) 虎口から見た「主郭」(大給城と同じく巨石が露出している!) 「主郭」の巨石と石碑(磐座信仰に繋がるような立派な岩!) 主郭の東麓(この麓に横堀が巡らされている!) 主郭から曲輪2を左に出て下ると現れる「曲輪3」 「曲輪3」(この視線の先に曲輪2、手前に曲輪4がある) 曲輪3を下ると現れる「曲輪4」(この先に櫓台がある) 曲輪4の社殿(左に進むと登城口、右に進むと曲輪3がある) 「曲輪4」と「櫓台」(奥が一段高くなっていることがわかる!) 櫓台の「ヤマモモ」(かなりの大木!) 「櫓台」からの眺望(登城口や松平郷の入り口を一望できる) 櫓台の石仏(詳細は不明だが、城跡は神社や墓地などに利用されていたよう) 曲輪4を南に進むと民家の上で水が湧出(ここが井戸跡の目印) 「井戸跡」(先ほどの湧出地から登ると出現) 松平氏館(松平東照宮)の水堀と石垣(江戸時代初期に造られたそう) 「松平氏発跡地」と「松平氏遺跡」の石碑 笠かけのかえでと見初めの井戸(松平親氏と水姫すいひめの出会いの場と伝わる) 松平東照宮(周囲の水堀は館跡の名残り?) 「松平氏遺跡」の案内板(全4ヶ所をコンプリートしよう!) 「松平東照宮」(かつては松平家の屋敷神の八幡宮だったそう!) 旧社殿の「産八幡の宮」(井戸を掘った時に出てきた岩を祭神とする) 「産湯の井戸」(家康が生まれた時に岡崎へ運ばれたと伝わる) 「産湯の井戸」の案内板(在原信重が井戸を掘ったと伝わる) 松平郷園地の「松平親氏の像」(流浪して松平郷に来た時をイメージ?) 松平親氏の像の裏山にある「松平太郎左衛門墓所」 松平東照宮の東の丘にある「高月院」 高月院の山門(徳川家光が寄進したものと伝わる) 高月院の本殿(お寺さんはYouTubeなどもやっているそう) 高月院の境内の「元信(徳川家康)お手植」の枝垂れ桜 高月院の「松平氏墓所」(11代将軍の徳川家斉が整備したそう) 江戸時代の松平太郎左衛門家の一族の墓もある 右から松平康親(親氏の子)、松平親氏、松平長忠の妻の墓 「在原氏の墓所」入り口(松平東照宮から徒歩5分ほど) 「在原氏の墓所」(中央が在原信重、左が娘の水姫) 「松平親氏行場跡」に向かう途中の神明社の鳥居(神明社は大正時代に東照宮に合祀され廃社) 「松平親氏行場跡」(親氏が観音を祀って修行を行ったと伝わる) 松平 三河額田(諸国古城之図)