お城とかの写真集日本100名城兵庫県 千姫天満宮赤松円心えきそば赤松貞範本多忠政豊臣秀吉本多忠刻羽柴秀吉世界遺産池田輝政日本100名城千姫姫路城黒田孝高白鷺城千姫化粧櫓兵庫県姫路市男山黒田官兵衛男山八幡宮黒田如水 【姫路城】その美しさ、白鷺の如し!日本が誇る“世界遺産城”(兵庫県姫路市) 兵庫県 2022.09.25 Data 築城:1333年(元弘げんこう3年)?1346年(正平しょうへい元年)?築城主:赤松あかまつ円心えんしん(則村のりむら)?赤松貞範さだのり?主な城主:黒田孝高よしたか(官兵衛かんべえ)、羽柴はしば秀吉ひでよし、池田輝政てるまさ、本多ほんだ忠政ただまさ(忠勝ただかつの子)所在地:兵庫ひょうご県姫路ひめじ市 本町ほんまち 所要時間:240分 Point ■播磨はりま(兵庫県)に勢力を伸ばした「赤松あかまつ家」が支城として姫山ひめやまに築城?◯「赤松家」・村上むらかみ源氏げんじ(村上天皇をルーツに持つ源氏)とされている・赤松則景のりかげが北条ほうじょう義時よしときの婿むことなり赤松(兵庫県上郡町かみごおりちょう)の地頭になったと伝わる →どちらも赤松家の史料にあるもので信憑性しんぴょうせいはかなり低い?■1333年(元弘げんこう3年)に「赤松円心えんしん(則村のりむら)」が砦を築城?◯「赤松円心」・鎌倉幕府が滅亡した「元弘の乱」で後醍醐ごだいご天皇の息子の護良もりよし親王に味方・その後、後醍醐天皇と対立した足利尊氏あしかがたかうじに味方して室町幕府の成立に貢献■1346年(正平しょうへい元年)に「赤松貞範さだのり」(円心の子)が築城?◯「赤松貞範」・父の円心と同じく室町幕府の有力大名となり美作みまさか(岡山県)の守護となる・姫山にあった称名寺しょうみょうじ(現•正名寺)を山麓に移して「姫山城」を築城■赤松家は1441年(嘉吉かきつい元年)に将軍の足利義教よしのりを暗殺…(嘉吉の乱) →幕府軍の討伐を受けて一時期没落、姫路城は山名やまな宗全そうぜん(持豊もちとよ)の支配下に■1467年(応仁おうにん元年)の「応仁の乱」で細川勝元ほそかわかつもとに味方した赤松家が姫路城を奪還! →赤松政則まさのりが曲輪を増築するなどの改築して本格的な城郭に?■戦国時代になると赤松家の一族で家臣の「小寺こでら家」が城主に就任 →その後、小寺家の家臣である「黒田くろだ家」(出自は不明!)が城主となる!☆1546年(天文てんぶん15年)11月29日に姫路城で黒田孝高よしたか(官兵衛かんべえ)が誕生したとされる!■1580年(天正てんしょう8年)に毛利家を攻めていた織田家の「羽柴はしば秀吉ひでよし」に姫路城を献上 →秀吉による大改築が行われ、天守や石垣などが築かれる(※一部現存!)■1585年(天正13年)から「木下きのした家定いえさだ」が15年間城主となる →木下家定は秀吉の正室「寧々ねね(北政所きたのまんどころ)」の兄、息子には小早川こばやかわ秀秋ひであきがいる■1600年(慶長けいちょう5年)の「関ヶ原の戦い」の功績で「池田いけだ輝政てるまさ」が新城主に →現存する天守群をはじめ、現在残るような姫路城の姿に大改築を行う■江戸時代は「池田→本多→奥平おくだいら松平→前橋松平→榊原さかきばら→前橋松平→本多→榊原→越前松平→酒井」と城主は転々■江戸時代初期には「千姫せんひめ」(豊臣とよとみの秀頼ひでよりの妻)が第二の人生を過ごしている →千姫は池田家の後の城主の本多忠政ただまさ(忠勝ただかつの子)の息子「池田忠刻ただとき」に再嫁 →千姫が暮らしたという西の丸には「千姫化粧櫓けしょうやぐら」が現存している■明治時代に廃城となるも陸軍軍人の「中村進一郎」(中村大佐たいさ)が保存を提言 →陸軍卿きょうの山県有朋やまがたありともが提言を受け入れ、姫路城と名古屋城の保存が決定!■1945年の太平洋戦争で空襲を避けるために黒い網が架けられるも焼夷弾しょういだんが大天守に命中… →ところが、幸運にも不発に終わり、翌日に大天守の最上階から発見された■1993年に「ユネスコ世界文化遺産」に登録される →他にも登録されている日本の城郭はあるが、お城単独としては姫路城だけ! パラメーター(5段階) 防御力 ★★★★映えレベル ★★★★★知名度 ★★★★★アクセス ★★★★ホワイトネス ★★★★★ 姫路駅名物の「えきそば」(日本一美味い駅そばとの評判も!) えきそば(関西風の出汁だしに中華麺というオリジナルの組み合わせ!美味い!) えきそばの歴史(試行錯誤の末に誕生した歴史ある郷土料理!) 姫路駅前から見た「姫路城」(物凄い存在感!) 姫路駅前の外濠そとぼり跡(現在の駅の北側にまで外堀があった!) 姫路城の縄張り図(外曲輪・中曲輪・内曲輪で構成されている!) 「総社門そうじゃもん」跡の外側から見た「中濠」跡(かつては水堀があった!) 内側から見た「総社門」跡(内側が中曲輪で、外側が外曲輪にあたる) 三の丸の水堀と石垣(奥に三の丸、右手に三の丸に通じる桜門橋がある) 三の丸の水堀を進む和船(3月から11月にかけて運航中!) 桜門橋と姫路城の天守群(橋を渡れば中心部の三の丸に突入!) 桜門の先に広がる「三の丸」(そびえる天守群が美しい!) 三の丸の石碑と修復中の大天守(巨大な箱に入った大天守の姿も超貴重!) 三の丸の「武蔵野御殿」跡(伏見城から移築の御殿に千姫が暮らしていた) 三の丸から見た天守群[右]と西の丸[左] 三の丸から見た「西の丸」(右に見えるのが「菱ひしの門」) 三の丸から見た西の丸の「ワの櫓」(左)と「カの櫓」(右) 大天守登閣の整理券(2015年のリニューアル直後にも行きました!) 三の丸から見た天守群(修復直後なので漆喰の白さが際立つ!) 同じアングルの修復中の大天守(メカニカル!ワクワク感!) 二の丸や西の丸に通じる「菱の門」(菱の紋があることが名の由来!) 菱の門の前にある姫路城の案内図(縄張り図として使える!) 「中村大佐たいさ顕彰碑」(姫路城を守った陸軍軍人・中村進一郎の顕彰碑) 菱の門の先の「三国堀さんごくぼり」の石垣(継ぎ足されいる!エモい!) 三国堀から見た天守群(青空と白亜の天守群!カッコいい!) 三国堀の西の「いの門」(この先に二の丸があり「ろの門」がある) 二の丸の「ろの門」(この先に将軍坂・はの門がある) 「はの門」に通じる通称・将軍坂(暴れん坊将軍のロケ地などで有名!) 将軍坂から見た修復中の天守群(修復中は比較的空いてました) 「はの門」と「にの門」の土塀(カーブが美しい!) 土塀の狭間から見た「二の丸」(修復直後は大混雑でした!) 二の丸の上段に通じる「はの門」(この先に乾いぬい曲輪がある) 「はの門」の転用石(灯籠の台石が転用されている!) 乾曲輪から見た「はの門」(内側の防御は想定しなかったのか窓がない!) 乾曲輪から見た「にの門」(由来が謎の十字架の鬼瓦がある!) 十字架の鬼瓦のアップ(キリシタンの黒田官兵衛にまつわるという伝説も) はの門の先の「にの門」(この先が本丸に通じる西北腰にしきたこし曲輪) 登城道の「にの門」の地下(列が動いていてピントずれてる…) 西北腰曲輪から見た「にの門」(修復中は無人で撮れた) 西北腰曲輪から見た「にの門」2 西北腰曲輪から見た「ほの門」(この先が北腰曲輪) 北腰曲輪から見た「ほの門」(秀吉時代とされる「油壁あぶらかべ」が現存する!) 乾小天守の石垣の「姥うばが石」(城下の老婆が石臼を秀吉に寄付した伝承が残る) 小天守の麓の「水一の門」(奥に姥が石や油壁、右手前に水二の門がある) 水曲輪から見た「水二の門」(この先に水一の門、手前に水三の門がある) 水三の門(水曲輪には1〜6までの城門がある) 水三の門の右手にある転用石(宝篋印塔ほうきょういんとうを転用したもの) 水三の門の先から見上げた乾天守・西天守・大天守 「水四の門」(手前に水三の門、奥に天守群に通じる水五の門がある!) 西小天守(左)と大天守(右)の間の「水五の門・二の渡櫓」(鉄扉&鉄格子の重厚な造り!) 水五の門の外の土塀(瓦の隙間の黒く汚れた漆喰は元は真っ白だった!) 水五の門の先から見上げた西小天守と大天守 西小天守に繋がる「水六の門」(手前に大天守がある) 西小天守からの景色(奥に千姫ゆかりの西の丸が広がっている!) 西小天守と乾小天守を繋ぐ「ハの渡櫓」(今更だけど名前ややこしい!) 乾小天守の姫路城のジオラマ(姫路駅上空あたりからのアングル) 姫路城の中心部のジオラマ(水堀を渡った先が三の丸) 姫路城の中心部のジオラマ(水堀を渡った先が三の丸) 大天守の1階(左側の取っ手のようなものは武具掛け) 大天守の1階の鉄扉てっぴ(西小天守を繋ぐ二の渡櫓に通じている) 大天守の2階(この大人数でも当然びくともしない!すごい!) 大天守2階の「破風はふの間」(屋根の飾りの破風は内側にスペースが生まれる) 大天守2階の「出格子でごうし・石落とし」(ここを開けて石垣を登る敵を攻撃!) 大天守3階の東大柱(根元以外は創建当時の樅木が最上階まで聳える!) 大天守3階の「西大柱」(昭和の大修理で取り替え、元の柱は城内に展示) 大天守の4階(5階へ通じる階段の傾斜はなんと約51度!) 大天守4階の石打棚いしうちだな(構造上、窓が高くなるため棚が作られた) 大天守4階の破風の間(この外に比翼入母屋破風がある!) 大天守の5階(左が最上階の6階に繋がる階段、西大柱と東大柱も見える) 長壁おさかべ[刑部]神社のある天守の最上階の6階(こちらもスゴい人!) 大天守6階の「幻の窓」(工事の途中で塞がれた隅の窓の跡) 大天守6階からの南側の景色(大手前通りの先に姫路駅がある) 大天守6階からの西側の景色(西の丸や三国堀が一望できる!) 大天守6階から見た西側の二の丸・乾曲輪(登城道に多くの人!) 大天守6階から見た三の丸(三の丸の広場ではイベントも開催したりする) 大天守6階からの北西の景色(男山八幡宮と千姫天満宮のある男山が見える!) 大天守の瓦(塗られたばかりの白漆喰!) 大天守の瓦2(遠くから見ると屋根が真っ白に見える!) 大天守6階から見た南東の景色(右下に太鼓櫓が見える!) 大天守の鯱(現存する1687[貞享じょうきょう4]年の鯱瓦がモデル) 大天守3階の武者隠し(登りと降りで見られるルートが少し変わる) 大天守の地下1階の武具庫(大天守は5層7階の構造!) 大天守の地下1階の「厠」(籠城線に備えたトイレが3つあった!) 大天守の地下1階の「流し」(左の扉は台所櫓に通じている) 大天守の二重の扉(この先に天守群の中庭、水六の門がある) 本丸の南の「備前丸」から見上げた天守群(水四の門の先から行ける) 「備前丸」から見上げた天守群2(とにかく大迫力!) 「備前丸」から見上げた天守群3(大天守の左にニの渡櫓と西小天守が見える!) 大天守の高石垣(右に見えるのは折廻おれまわり櫓) 大天守の東側に付属する「折廻櫓」(その名の通り折れ曲がってる!) 折廻櫓の「備前門」(この先に備前曲輪、右手に井郭いかく櫓がある) 「備前門」の転用石(古墳の石棺が転用されている) 「備前門」の転用石2(こちらも古墳の石棺を転用) 備前櫓の東の「井郭櫓」(櫓の中に井戸があるのが名前の由来!) 「井郭櫓」の井戸(搦手口の防御も担っていた櫓!) 井郭櫓と繋がる旧「番所」(左には「ちの門」がある) 番所(右)と繋がる「ちの門」(門の先に搦手口があり、手前に井郭櫓がある) 備前門・井郭櫓の東にある「帯おびの櫓」(こちらも東の搦手口を抑える役割!) 帯の櫓から見た「太鼓櫓・りの門」(右が備前丸、手前に備前門・井郭櫓がある) 帯の櫓の南にある転用石の跡(耐震性の関係で元の転用石は別で展示) 「りの門」(この先に上山里曲輪、左に太鼓櫓が続く) 上山里曲輪から見た「りの門」(この先に帯の櫓、右に太鼓櫓が続いている) 上山里曲輪の「お菊井戸」(播州ばんしゅう皿屋敷のお菊の怪談ゆかりの地と伝わる) 上山里曲輪の「リの一渡櫓」内(城主が転々としたため様々な家紋の軒瓦がある!) 「ぬの門」(右にリの一渡櫓が続き、門の先に上山里曲輪がある) ぬの門の前の高石垣(扇の勾配が美しい!) ぬの門の前の通称“人面石”(石垣職人の遊び心か配列が顔に見える!) ぬの門の前のハート型の石垣(姫路城に限らず色んなお城にあるね!) ぬの門側から見た「埋うずみ門」(石段を下ると埋門があり、その先に三国堀と菱の門がある) 外側から見た「埋門」(手前に三国堀、この先に「ぬの門」がある) 二の丸の井戸(中心部には33ヶ所もの井戸があったそう) 下山里曲輪の秀吉時代の石垣(他とは異なり野面積で積まれている) 下山里曲輪の秀吉時代の石垣2(この上段がお菊井戸のある上山里曲輪) 「いの門」の前あたりから見た天守群(何枚撮っても撮り足りない) 「いの門」の前あたりから見た天守群2(白さが際立ってる!) 「西の丸」から見た天守群(下に写るのは「菱の門」) 「西の丸」で記念撮影! 長い渡櫓が続く「西の丸長局ながつぼね[百間ひゃっけん廊下]」(左隅は「ルの櫓」) 二の丸から見た「カの櫓」(三の丸からは見上げる櫓) 西の丸から見た「ワの櫓」(左の土塀の先に「カの櫓」がある) 西の丸の渡櫓から見た天守群(左の渡櫓の先が「千姫化粧櫓」) 西の丸の渡櫓から見た天守群[修復中ver.] 西の丸長局[百間廊下]の内部(安いデジカメ!ブレブレ!) 長局の黒田官兵衛時代の姫路城のジオラマ(大河ドラマの撮影セットを再現!) 長局から見た男山(千姫は毎日眺めて祈りを捧げていたそう) 長局にある“幻の窓”の展示(無い方がしゅっとしているかも?) 「千姫化粧櫓」(千姫が化粧をした櫓と伝わる) 化粧櫓で百人一首をする千姫と娘の勝姫(勝姫[円盛院]は池田光政[輝政の孫]に嫁いだ) 千姫の手元の「煙草盆」(千姫は実は喫煙者だったそう) 化粧櫓から見た長局(ずーっと向こうまで渡櫓が続く) 化粧櫓の外から見た長局(右は「ヌの櫓」) 三の丸の「天守の庭」から(手前が上山里曲輪の「チの櫓・リの一渡櫓」) 三の丸の西にある「市ノ橋門」跡(この先の橋を渡ると城外) 城外から見た「市ノ橋門」跡(この先の道を進むと水堀・桜門橋がある) 市ノ橋門跡から見た船場せんば川(左)と中濠(右) 「千姫の小径」(右は外堀の中濠、左の船場川は姫路港まで繋げられていた) 千姫の小径から見た中濠越しの西の丸(ルの櫓や長局が見える!) 「北勢隠門」跡から見た中濠(この先に「市ノ橋門」がある) 「北勢隠きたせがくし門」跡(右の石垣の間を潜ると勢隠曲輪がある) 「勢隠せがくし曲輪」跡(本丸や西の丸の北側に位置する) 勢隠曲輪の先にある「喜斎きさい門」跡(こちらが搦手口にあたる) 「喜斎門」跡の外側から見た天守群(搦手口はこの先に1〜4の「との門」が続き、その先に「ちの門」がある) 外側から見た「喜斎門」(この先を内曲輪、外側を中曲輪と呼ぶ) 中曲輪と外曲輪の間の「久長きゅうちょう門」跡(中曲輪の東側の入り口!) 外側から見た「久長門」跡(間に中濠、奥には大天守が見える!) 外側から見た「内京口うちきょうぐち門」跡(中曲輪の東南側の入り口!) 中曲輪跡の「城見台公園」