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【姫路城】その美しさ、白鷺の如し!日本が誇る“世界遺産城”(兵庫県姫路市)

Data

築城:1333年(元弘げんこう3年)?1346年(正平しょうへい元年)?
築城主:赤松あかまつ円心えんしん(則村のりむら)?赤松貞範さだのり
主な城主:黒田孝高よしたか(官兵衛かんべえ)、羽柴はしば秀吉ひでよし、池田輝政てるまさ本多ほんだ忠政ただまさ(忠勝ただかつの子)
所在地:兵庫ひょうご姫路ひめじ本町ほんまち

所要時間:240分

Point

播磨はりま(兵庫県)に勢力を伸ばした「赤松あかまつ家」が支城として姫山ひめやまに築城?
◯「赤松家」
村上むらかみ源氏げんじ(村上天皇をルーツに持つ源氏)とされている
・赤松則景のりかげ北条ほうじょう義時よしとき婿むことなり赤松(兵庫県上郡町かみごおりちょう)の地頭になったと伝わる
 →どちらも赤松家の史料にあるもので信憑性しんぴょうせいはかなり低い?
■1333年(元弘げんこう3年)に「赤松円心えんしん(則村のりむら)」が砦を築城?
◯「赤松円心」
・鎌倉幕府が滅亡した「元弘の乱」で後醍醐ごだいご天皇の息子の護良もりよし親王に味方
・その後、後醍醐天皇と対立した足利尊氏あしかがたかうじに味方して室町幕府の成立に貢献
■1346年(正平しょうへい元年)に「赤松貞範さだのり」(円心の子)が築城?
◯「赤松貞範」
・父の円心と同じく室町幕府の有力大名となり美作みまさか(岡山県)の守護となる
・姫山にあった称名寺しょうみょうじ(現•正名寺)を山麓に移して「姫山城」を築城
■赤松家は1441年(嘉吉かきつい元年)に将軍の足利義教よしのりを暗殺…(嘉吉の乱)
  →幕府軍の討伐を受けて一時期没落、姫路城は山名やまな宗全そうぜん(持豊もちとよ)の支配下に
■1467年(応仁おうにん元年)の「応仁の乱」で細川勝元ほそかわかつもとに味方した赤松家が姫路城を奪還!
  →赤松政則まさのりが曲輪を増築するなどの改築して本格的な城郭に?
■戦国時代になると赤松家の一族で家臣の「小寺こでら家」が城主に就任
  →その後、小寺家の家臣である「黒田くろだ家」(出自は不明!)が城主となる!
☆1546年(天文てんぶん15年)11月29日に姫路城で黒田孝高よしたか(官兵衛かんべえ)が誕生したとされる!
■1580年(天正てんしょう8年)に毛利家を攻めていた織田家の「羽柴はしば秀吉ひでよし」に姫路城を献上
  →秀吉による大改築が行われ、天守や石垣などが築かれる(※一部現存!)
■1585年(天正13年)から「木下きのした家定いえさだ」が15年間城主となる
  →木下家定は秀吉の正室「寧々ねね(北政所きたのまんどころ)」の兄、息子には小早川こばやかわ秀秋ひであきがいる
■1600年(慶長けいちょう5年)の「関ヶ原の戦い」の功績で「池田いけだ輝政てるまさ」が新城主に
  →現存する天守群をはじめ、現在残るような姫路城の姿に大改築を行う
■江戸時代は「池田→本多→奥平おくだいら松平→前橋松平→榊原さかきばら→前橋松平→本多→榊原→越前松平→酒井」と城主は転々
■江戸時代初期には「千姫せんひめ」(豊臣とよとみの秀頼ひでよりの妻)が第二の人生を過ごしている
  →千姫は池田家の後の城主の本多忠政ただまさ(忠勝ただかつの子)の息子「池田忠刻ただとき」に再嫁
  →千姫が暮らしたという西の丸には「千姫化粧櫓けしょうやぐら」が現存している
■明治時代に廃城となるも陸軍軍人の「中村進一郎」(中村大佐たいさ)が保存を提言
  →陸軍きょう山県有朋やまがたありともが提言を受け入れ、姫路城と名古屋城の保存が決定!
■1945年の太平洋戦争で空襲を避けるために黒い網が架けられるも焼夷弾しょういだんが大天守に命中…
  →ところが、幸運にも不発に終わり、翌日に大天守の最上階から発見された
■1993年に「ユネスコ世界文化遺産」に登録される
  →他にも登録されている日本の城郭はあるが、お城単独としては姫路城だけ!

パラメーター(5段階)

防御力     ★★★★
映えレベル   ★★★★★
知名度     ★★★★★
アクセス    ★★★★
ホワイトネス     ★★★★★

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