Data
築城:文明年間(1469〜87年)?
築城主:鈴木重時(紀伊[和歌山県]にルーツを持つ鈴木一族)
主な城主:鈴木重辰、渡辺守綱、渡辺治綱(守綱の孫)
所在地:愛知県豊田市 寺部町
所要時間:30分
Point
■室町時代の文明年間(1469〜87年)に「鈴木重時」が築城?
→鈴木家は紀伊(和歌山県)にルーツを持つ一族(三河鈴木家)にあたる
(三河の有力な国衆のひとつで、後に駿河[静岡県]の今川家に従う)
■尾張(愛知県)の織田信秀(信長の父)が三河に勢力を伸ばすと、今川家から離反
→今川義元から討伐を受けて、鈴木重辰の寺部城に今川軍が襲来!
◯1558年(永禄元年)「寺部城の戦い」
・今川軍の武将は、これが初陣だった17歳の松平元康(のちの徳川家康!)
・鈴木重辰は降伏して、今川家の配下に(城主は引き続き鈴木家)
■1560年(永禄3年)の「桶狭間の戦い」後に、鈴木家は松平元康に対抗!
→1566年に織田家(松平家の同盟相手)の佐久間信盛に攻められ陥落
※その後の寺部城の詳細は一時不明
■1610年(慶長15年)に「渡辺守綱」が城主に就任!
◯渡辺守綱…家康の重臣、異名は“槍半蔵”、“徳川十六神将”に数えられる忠臣
→以降は「寺部陣屋」と呼ばれ、尾張藩の附家老となった渡辺家が城主を務める
■矢作川の東岸に築かれ、現在は「守綱神社」が建ち、土塁や礎石などが残る
■城下には寺部藩の家老だった遊佐家や松本家の長屋門が現存し、
渡辺治綱(守綱の孫)が創建した渡辺家の菩提寺の「守綱寺」が残っている
パラメーター(5段階)
防御力 ★★
映えレベル ★★
知名度 ★★
アクセス ★★
ゲートボール度 ★★★★★























