Data
築城:1357年(延文2年)
築城主:斯波兼頼
主な城主:最上義光、鳥居忠政、保科正之
山形県山形市霞城町
所要時間:150分
Point
■南北朝時代の1357年(延文2年)に「斯波兼頼」が築城したとされる
・斯波家…足利将軍家の一族、紫波郡(岩手県)を領地にして「斯波」を名乗る
→斯波兼頼が最上郡(山形市周辺)を領地として「最上」を名乗る!
■11代目の「最上義光」が慶長年間(1600年前後)に改築されて、三の丸が増設される
・最上義光…出羽を統一、関ヶ原後に57万石に、伊達政宗は甥にあたる
※“羽州の狐”という異名があるが、史料的にはソースは無し
■別名は「霞城」「霞ヶ城」!
→“北の関ヶ原”と呼ばれる「慶長出羽合戦」で霞がお城を隠した伝説が由来
→三の丸の城門が11口(十・一・口)あったことから「吉字城」とも
■最上義光の孫(最上義俊)の代に御家騒動(最上騒動)が起きて最上家は改易
■江戸時代は様々な家が城主を務める
・歴代城主[鳥居、保科、越前松平、奥平松平、奥平、大給松平、秋元、水野]
→最上家の後の「鳥居忠政」は徳川家康の重臣で伏見城で討死した鳥居元忠の息子
→「保科正之」(徳川秀忠の子)は会津の鶴ヶ城に移る前に山形城主を務めた
■山形領の石高は減少して、日本屈指の規模だった城郭の維持が困難になり規模は縮小
→幕末になると、二の丸に御殿、本丸は更地、三の丸の半分は田畑になっていたとも
パラメーター(5段階)
防御力 ★★★
映えレベル ★★★
知名度 ★★★
アクセス ★★★★
現在の大改築度 ★★★★★
















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