築城:1100年代半ば(平安時代後期)?
築城主:奥州藤原氏(3代目・藤原基衡?)
主な城主:藤原基成、源義経
岩手県平泉町平泉柳御所
所要時間:40分
■平安時代後期に奥州(陸奥)一帯を支配した「奥州藤原氏」の館
→「藤原清衡ー基衡ー秀衡ー泰衡」と4代続いた
■藤原清衡が「豊田館」(岩手県奥州市)から平泉に拠点を移す
→新たな居館は「柳之御所」(衣川館の南側)
■柳之御所の北側の北上川に沿った丘にも築かれたのが「衣川館」!
→当初は「藤原基成」の館だった?(高館、判官館などとも呼ばれる)
◯「藤原基成」
・平安時代後期〜鎌倉時代前期の公家
・1143年(康治2年)に「陸奥守」「鎮守府将軍」になり平泉へ
・京都に戻った後「平治の乱」が起きて陸奥に流罪となる
※弟の「藤原信頼」が乱の首謀者となり「平清盛」と敵対しため
・娘が「藤原秀衡」に嫁いでいたこともあり平泉で暮らす
・1189年(文治5年)の「奥州合戦」で捕縛されるも釈放、その後は行方不明
■1187年(文治3年)2月頃に「源義経」が平泉へ落ち延びてくる
→兄の「源頼朝」と対立して討伐の院宣が出ていた…
■源義経は1180年(治承4年)まで藤原秀衡の許にいた
→源義経の母「常盤御前」と藤原基成のコネで奥州に?
※常盤御前は公家「一条長成」(藤原基成の父の従兄弟)に再嫁
■1189年(文治5年)閏4月30日に源義経は衣川館で妻(郷)と娘を殺した後に自害
→2年前に藤原秀衡は死去、4代目の藤原泰衡の攻撃を受ける
■1683年(天和3年)に「伊達綱村」(政宗のひ孫)が「高館義経堂」を建立
■1689年(元禄2年)に「松尾芭蕉」が「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠む
■近年、本当の衣川館は中尊寺の北の「接待館」ではないかとも
防御力 ★
映えレベル ★★
知名度 ★★
アクセス ★★
夢の跡度 ★★★★★








![「高館義経堂」(1683年[天和3年]に伊達綱村[政宗のひ孫]が建立したもの)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/05/CIMG5895-1024x768.jpg)





