北海道日本100名城 津軽海峡亀甲積日本100名城北海道松前町松前城福山城福山館松前慶広松前崇広土方歳三戊辰戦争 【松前城】海防最強の幕末の城郭!しかし、土方歳三に陸から攻められて即日落城(北海道松前町) 北海道 2022.05.232022.08.15 Data 築城:1600年(慶長けいちょう5年)築城主:松前慶広まつまえよしひろ 主な城主:松前崇広たかひろ(幕末の老中ろうじゅう)所在地:北海道松前町松城まつしろ所要時間:2時間 Point ■蝦夷えぞ(北海道)の南西部を拠点にした「松前まつまえ家」の居城 ・松前家は「若狭わかさ武田たけだ家」(武田信玄しんげんの遠い親戚)の末裔とも ・はじめは蠣崎かきざき城(青森県むつ市)を拠点として「蠣崎」と名乗る →蝦夷に勢力を伸ばして「大館おおだて」(北海道松前町)を拠点にする■「蠣崎(松前)慶広よしひろ」が上洛して豊臣秀吉とよとみひでよしに臣従 →秀吉の死後、徳川家康とくがわいえやすに従って新拠点の「松前」と改名!■1600年(慶長5年)から新たな居城の築城を始めて6年後に完成 →松前城の前身となる「福山館ふくやまだて」の誕生! ※松前家は「城主格」(城主ではないけど城主と同格)というランクだったので、 正式には「城」ではなく「館」と呼ばれた■1849年(嘉永かえい2年)に海防のために「松前崇広たかひろ」が築城を命じられる →福山館が改築されて5年後に「松前城」(正式名称は「福山城」)が完成! ※備後びんご(広島県)の福山城と混合するので、松前城や松前福山城と呼ばれた■砲台16基・大砲37門を備えた津軽海峡を見渡す海防のための城郭だったが… →1868年(明治元年)の「戊辰ぼしん戦争」で土方歳三ひじかたとしぞうに陸・から攻められて即日落城■明治時代に天守・本丸表御殿おもてごてん・本丸御門ごもん以外の建築物を解体 →石垣は撤去されて、堀も埋め立てられるなど破城が進められた ・天守は1949年に失火するも、1961年に再建される! ・本丸表御殿は松城小学校の校舎となるも1900年に解体、玄関が現存する パラメーター(5段階) 防御力 ★★映えレベル ★★★★★知名度 ★★★アクセス ★★対・陸地戦 ★ 国道228号線の車窓から見た津軽海峡(沿岸に松前城が待っている!) 東側の虎口「搦手口」(右手に搦手ニノ門、奥に天守が見える!) 搦手口の再建の「搦手二ノ門」(奥の右側には一回り大きい搦手門があった) 搦手二ノ門を内側から(高麗門スタイルの城門の脇を切込接の石垣が囲んでいる!) 搦手口にあるジオラマ(南に広がる津軽海峡に面した正に海防の城郭!) ジオラマを別角度から(こちらは搦手口があった東側からのアングル) 復元整備されている二ノ丸・三ノ丸の案内板(砲台跡もある!) 「馬坂橋」と「馬坂」(搦手口に通じていた城内へ入る重要なルートひとつ) 馬坂(旧名は数馬坂。松前由広[慶広の子、幼名が数馬]が暗殺された場所とも) 「七番台場」跡(城内には津軽海峡に向けて7基の砲台があった!) 七番台場の脇の「天神坂門」(馬坂と同じく城内への重要なルートのひとつ!) 再び搦手口から(復元された土塁や土塀が広がる!手元は番所跡を示している) 福山城の縄張り図(明治時代に破却され当時とは姿が結構違うので注意!) 「二ノ丸・大手門」近くから海に通じる「沖ノ口門」を眺める! 先ほどの撮影位置から見た城内の風景(当時は道はなかったみたい) 二ノ丸の西端の石垣(麓にはかつて水堀が引かれていた!) 二ノ丸から「本丸」へ(本丸御殿は明治時代に解体されてしまった) 本丸御殿の跡から見た再建された「天守」と現存する「本丸御門」 本丸の「耳塚」(シャクシャインの乱で討死したアイヌ民族の耳を埋めたという) 本丸の「闇の夜の井戸」(松前家臣・大沢多次郎兵衛が暗殺された場所と伝わる) 「松前城資料館」の入り口(天守に登る際はコチラから!) 資料館の松前家の船「長者丸」の旗(他にも個性派大名•松前家の資料がたくさん!) 再建天守からの景色(津軽海峡が一望できて、その先には青森県が!) 南側から見た「本丸御門」と「天守」(この奥に本丸が広がっている) スマホで同じアングル(あんまり優秀なデジカメじゃなかったからスマホの方がキレイかも) 「本丸御門」(天守は1949年に焼失するも本丸御門は焼失を免れた!) 1961年に完成した再建天守(戦前には国宝に指定されていたが惜しくも焼失した) 本丸と本丸御門を繋ぐ石垣(松前城名物の六角形の石垣「亀甲積」が見られる!) 「本丸表御殿玄関」(御殿は1900年に解体も、玄関はそのまま使われて現存!) 二ノ丸の「太鼓櫓」跡から望む津軽海峡(写っているのは私) 天守の北側の水堀(右手が本丸、左手が東郭[その先に搦手門と二ノ丸]があった) 北側の虎口「寺町門」跡(目の前のルートは当時はなく、左側に迂回する道だった) 寺町門跡(土方歳三が梯子で城内に侵攻するなど猛攻を仕掛けたのはこの辺り!) 1881年(明治14年)に創建された「松前神社」(祭神は松前家の先祖・武田信広) 海側の「沖ノ口門」跡から(右手に三ノ丸に入る城門があった!) 沖ノ口門跡の案内板(上空写真と絵図があって分かりやすい!)