Data
築城:1591年(天正19年)
築城主:伊奈忠次
主な城主:伊奈忠政(忠次の長男)、伊奈忠勝(忠政の子)
所在地埼玉県北足立郡伊奈町小室
所要時間:90分
Point
■徳川家康の重臣である「伊奈忠次」が築城した屋敷(=実質お城)
→1590年(天正18年)の「小田原征伐」で北条家が滅亡して、
徳川家康が関東に移封となると、
伊奈忠次は小室(現・埼玉県伊奈町)に1万石を与えられて築城
※この地には無量寺の閼伽井坊があったが移転させたらしい
■伊奈忠次は関東代官頭を務めたほどの徳川家の名官僚!
→各地の河川工事で特に大きな功績を上げた土木・治水業界のレジェンド
※「埼玉県伊奈町」の自治体名の由来になっている
※「茨城県伊奈町」の由来は同じく河川事業で活躍した伊奈忠治(忠次の次男)
■「伊奈家」は信濃の伊那(長野県南部)にルーツを持つとされる一族
→室町時代に三河(愛知県)に移り、松平家(後の徳川家)に仕えたという
※伊奈氏屋敷を拠点とした伊奈家は忠勝(忠次の孫)が亡くなり断絶
パラメーター(5段階)
防御力 ★★
映えレベル ★
知名度 ★
アクセス ★★
治水レジェンド ★★★★★
![「表門」跡の近くに立つ案内板(場所は屋敷跡の最南端)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0445-1024x768.jpg)
![「表門」跡近くのカーブしている道路(右の土壇が最南端の曲輪跡)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0452-1024x768.jpg)
![「二の丸」跡の案内板と石碑(奥の土塁の上が二の丸跡と伝わる)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0477-1024x768.jpg)
![「二の丸」跡にある縄張り図(門や曲輪の名称は伝承されているもの)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0485-1024x768.jpg)
![伊奈氏屋敷跡の「散策路マップ」(地元の方々に非常に大切にされている!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0512-1024x768.jpg)
![「二の丸」の北側にある土塁(間の道路は江戸時代の絵図にも見られる)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0456-1024x768.jpg)
![「二の丸」の北側の土塁にいた猫(さっきの写真にも写ってるよ)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0458-1024x768.jpg)
![「二の丸」の北側の土塁にいた猫(アップ)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0463-1024x768.jpg)
![「蔵屋敷」跡の西側の土塁・空堀(堀底を歩けるのは興奮するよね)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0518-1024x768.jpg)
![前の写真の堀底を進んだ先にある土塁・空堀(突き当たりの先の左右に展開)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0524-1024x768.jpg)
![突き当たりの東側の土塁・空堀(城跡あるあるの竹林が広がる)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0528-1024x768.jpg)
![前の写真のポイントから振り返って見た土塁・空堀(自分だけの空間って感じ)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0539-1024x768.jpg)
![突き当たりの西側の先の土塁・空堀(伊奈氏屋敷では最長の約100mの遺構)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0552-1024x768.jpg)
![中心部の「陣屋」跡の北側の土塁(左側の森が陣屋の跡地と伝わる)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0576-1024x768.jpg)
![陣屋跡の最西端の「頭殿権現社」(頭殿は代官頭の伊奈忠次のことと思われる)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0600-1024x768.jpg)
![頭殿権現社の案内板(創建は太田道灌で、権現社となり家康を祀っていたとも)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0589-1024x768.jpg)
![麓から見た頭殿権現社(西側一帯は天然の要害の「原市沼」が広がっていた!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0612-1024x768.jpg)
![「陣屋」跡の南側(右側が屋敷の中心部かで、かつて陣屋[御殿]があったらしい!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0636-1024x768.jpg)
![屋敷の最北端の「裏門」跡(かつての登城道が、そのまま道路になっている!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0654-1024x768.jpg)
![裏門の堀跡(発掘調査により、お城好きに大人気の障子堀が発見された!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0660-1024x768.jpg)
![裏門の障子堀のマーキング(堀跡のラインが分かるように線が引かれている!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0648-1024x768.jpg)
![裏門の案内板にある「発掘された障子堀の上空写真」(美しい!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0672-1024x768.jpg)
![裏門の案内板にある屋敷跡の「全景」(左上に走るのは新幹線とニューシャトル)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0673-1024x768.jpg)
![「裏門」跡の北側の土塁・空堀(こちらが表門では?と思えるほどの立派な遺構!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0683-1024x768.jpg)
![裏門から入った先の登城道(この先は左折!江戸時代も同じルートだったみたい)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0686-1024x768.jpg)
![裏門から入った先の登城道(江戸時代の絵図にも同じようなルートが描かれている)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0693-1024x768.jpg)
![](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_0703-1024x768.jpg)