Data
築城:平安時代後期(1100年代前半)?
築城主:畠山重能(重忠の父)?
主な城主:畠山重忠
所在地埼玉県深谷市畠山
所要時間:30分
Point
■鎌倉幕府の有力な御家人「畠山重忠」の生誕地と伝わる館跡!
→現在は「畠山重忠公史跡公園」として整備されている
※公園内には墓石や産湯の井戸など畠山氏ゆかりの史跡が残る!
■築城したのは“畠山氏の祖”である畠山重能(重忠の父)?
→畠山氏は現・埼玉県秩父市吉田町を拠点とした秩父氏の一族
◯主な秩父一族
『江戸氏』 居城は江戸氏館(江戸城)。喜多見氏と改名して江戸幕府の旗本に。
『河越氏』 居城は河越氏館。源義経の正室(郷御前)は河越氏の出身。
『高山氏』 拠点は現・埼玉県日高市高山。戦国大名の高山右近は末裔とも。
『豊島氏』 居城は石神井城や練馬城など。太田道灌に滅ぼされる。
『葛西氏』 豊島氏の一族。奥州総奉行に任命され、東北の名門戦国大名に。
『渋谷氏』 拠点は現・神奈川県大和市渋谷。居城は渋谷城など。
『東郷氏』 薩摩に移った渋谷氏の一族。末裔には海軍軍人の東郷平八郎。
『伊地知氏』 現・福井県勝山市伊地知に由来。大隅に移り島津家の家臣に。
■ちなみに、畠山重忠は1205年(元久2年)に北条氏の陰謀により討死
→未亡人となった畠山重忠の正室(北条時政の娘)は足利義純に再嫁
→足利義純は足利氏(後の室町幕府の将軍)の一族で「畠山氏」を名乗る
→室町幕府で三管領と称された有力大名のNew・畠山氏の始まり!
■畠山重忠の館と伝わる場所は、他に「菅谷館」(埼玉県嵐山町)がある!
パラメーター(5段階)
防御力 ★
映えレベル ★
知名度 ★★
アクセス ★★
畠山重忠愛 ★★★★★
![「畠山重忠公史跡公園」の入口(永田駅から徒歩30分近くかかるので頑張って!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1149-1024x768.jpg)
![公園入口の「畠山重忠 墓」の案内板(地名の「畠山」が畠山氏の名字の由来!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1142-1024x768.jpg)
![「畠山重忠公史跡公園」の標柱(名前に後ろに“公”が!まさに地元の英雄!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1025-1024x768.jpg)
![公園の名物「畠山重忠公之像」(一ノ谷の戦いで馬を背負った逸話がモチーフ!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1152-1024x768.jpg)
![銅像を少しアップで(崖を駆け降りる時に愛馬を労って背負った逸話が有名!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1038-1024x768.jpg)
![銅像を下から(実は史実だと一ノ谷の戦いに畠山重忠さんはいなかったっぽいw)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1135-1024x768.jpg)
![銅像を後ろから(江戸時代では歌舞伎などに描かれて人気武士キャラに!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1041-1024x768.jpg)
![「銅像建立記念碑」(子孫と伝わる全国の畠山さんなどが寄付をしたらしい!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1043-1024x768.jpg)
![「畠山重忠公 産湯の井戸」(江戸時代には2ヶ所伝わっていたそう!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1046-1024x768.jpg)
![「産湯の井戸」をアップで(石垣の修復に板碑が使われてしまっているw)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1049-1024x768.jpg)
![畠山重能・重忠親子や家臣の墓(地元の方々によって大切に伝えられている!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1055-1024x768.jpg)
![「畠山重忠公の墓」の案内板(父の重能や息子の重秀のことも紹介されている!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1064-1024x768.jpg)
![「畠山重忠公 墓 並 館跡」(お墓は屋内に大事に置かれている)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1060-1024x768.jpg)
「畠山重忠公 墓 並 館跡」(お墓は屋内に大事に置かれている)
![「伝・畠山重忠 墓」(中央の五輪塔が畠山重忠のお墓と伝えられている!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1096-1024x768.jpg)
![合計6基の畠山重忠主従の墓(左側は家臣の本田親常の墓と伝えられている)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1102-1024x768.jpg)
![「畠山重忠 墓」の案内板(鎌倉時代後期〜室町時代に造られたと考えられている)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1091-1024x768.jpg)
![嘉元2年[1304年]の石塔婆(畠山重忠の100回忌のために建立されたと伝わる)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1070-1024x768.jpg)
![「畠山庄司重能の墓」(重忠の父・重能の墓と伝わる自然石。こちらは屋外w)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1083-1024x768.jpg)
![お墓の裏の景色(館跡の痕跡を探したくなるのが、お城好きの性)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1107-1024x768.jpg)
![お墓の裏を別アングルで(段差があるけども残念ながら堀や土塁の跡ではないはず)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1105-1024x768.jpg)
![「畠山重忠公没後800年慰霊碑」(公園内には記念碑が立ち並び、地元の方々の畠山重忠さんへの崇敬の念が感じられる!)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_1054-1024x768.jpg)