静岡県

【堀越御所】戦国時代の始まり!「北条早雲」討ち入りの地(静岡県伊豆の国市)

Data

築城:1458年(長禄ちょうろく2年)
築城主:足利政知あしかがまさとも

主な城主:足利茶々丸ちゃちゃまる、足利潤童子じゅんどうじ
所在地:静岡県伊豆の国市四日町よっかまち
所要時間:30分

Point

■堀越公方「足利政知まさとも」の御所の跡地と伝わる!
  ・堀越=この辺りの地名 ・公方くぼう=将軍の意味(中国風の言い方)
■「足利政知」→関東の統治のために派遣された足利将軍家の一族
  ・6代将軍:足利義教よしのりの息子
  ・7代将軍:足利義勝よしかつの弟 ・8代将軍:足利義政よしまさの兄
■当初の関東の統治も足利一族だったが、徐々に本家の将軍家と対立
  ※鎌倉を拠点にしたので「鎌倉公方」と呼ばれた 
  ・1438年(永享えいきょう10年)「永享の乱」
  →鎌倉公方「足利持氏もちうじ」が将軍「足利義教」の討伐を受けて自害
  ・1454年(享徳きょうとく3年)〜1483年(文明ぶんめい14年)「享徳の乱」
     →足利持氏の子「足利成氏しげうじ」が発端となって関東全体が戦乱に
  ※足利成氏は鎌倉を追われ古河こがを拠点にし「古河公方」と呼ばれる
■弟の8代将軍「足利義政」が関東の戦乱を治めるため、
    1458年(長禄ちょうろく2年)に僧侶だった「足利政知」を現俗させて鎌倉に派遣!
   →しかし、戦乱で鎌倉に入れず伊豆の堀越に留まり「堀越公方」に
■ところが、足利政知の死後に息子たちの間に御家騒動が勃発!
   →兄・足利茶々丸ちゃちゃまるが、弟・足利潤童子じゅんどうじと母・円満院えんまんいんが暗殺する…
■1493年(明応めいおう2年)に「北条早雲ほうじょうそううん」(伊勢いせ宗瑞そうずい)の討ち入りで堀越御所は陥落
   →足利茶々丸は甲斐に逃れた後に捕縛され、自害に追い詰められた
   ※同年に京都では「明応の政変」が起きていて、
       足利茶々丸・潤童子の兄弟の「足利義澄よしずみ」が11代将軍に就任している
   (北条早雲の伊豆討ち入りは京都のクーデターと連動した可能性も!)

パラメーター(5段階)

防御力     ★
映えレベル   ★
知名度     ★
アクセス    ★★
関東戦国史沼度  ★★★★★

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