静岡県 小田原征伐静岡県伊豆の国市北条早雲北条氏規韮山城韮山高校小田原城北条氏綱北条氏康小田原攻め 【韮山城】戦国大名の先駆け!龍の如き「北条早雲」終生の居城(静岡県伊豆の国市) 静岡県 2022.05.172022.08.15 Data 築城:文明ぶんめい年間(1469〜1486年)?築城主:外山とやま豊前守ぶぜんのかみ? 主な城主:北条早雲ほうじょうそううん(伊勢いせ宗瑞そうずい)、北条氏規うじのり所在地:静岡県伊豆の国市韮山にらやま所要時間:2時間 Point ■戦国大名の先駆け「北条早雲ほうじょうそううん」が伊豆に進出して「韮山にらやま城」を築く! →築城はそれよりも前の文明ぶんめい年間(1469〜1486年)とも ※築城主は「外山とやま豊前守ぶぜんのかみ」(堀越ほりごえ公方くぼうの足利政知あしかがまさともの家臣)とも■1493年(明応めいおう2年) 北条早雲の「伊豆討ち入り」! →北条早雲(伊勢宗瑞)は元・室町幕府の家臣 →今川家の縁者だったので駿河するが(静岡県)に下向して伊豆に侵攻!■北条早雲の居城となって終焉の地にもなった →息子の北条氏綱うじつなから「北条」を名乗り「小田原おだわら城」を居城にする■韮山城はそれ以降も小田原・北条家の重要な支城に! →1590年(天正てんしょう18年)の「小田原征伐」で豊臣秀吉軍に包囲される ※豊臣軍には織田信雄や福島正則、蒲生氏郷や細川忠興などがいた■城主は「北条氏規うじのり」(北条早雲のひ孫、3代・北条氏康うじやすの子) →約3ヶ月の籠城戦の末に黒田くろだ官兵衛かんべえの説得で開城して終結■北条家滅亡後は徳川家の家臣「内藤信成ないとうのぶなり」(家康の弟とも)が城主に →1601年(慶長けいちょう6年)に駿府城に移封いほうとなって韮山城は廃城となる■異名は「龍城りゅうじょう」、城跡は「龍城山りゅうじょうさん」と呼ばれている パラメーター(5段階) 防御力 ★★★映えレベル ★★知名度 ★アクセス ★★北条早雲度 ★★★★★ 韮山城の遠望(戦国時代当時もあった城沼が西側に広がっている!) 城沼から見た韮山城(城跡は「龍城山りゅうじょうさん」と呼ばれている!) 沼地側の入り口にある案内板(手前に行けば三の丸、奥に行けば本丸の方角) 案内板の縄張り図(1793年[寛政5年]に作成された絵図!沼も描かれている) 案内板の歴史解説(北条早雲や小田原征伐の歴史がまとめられている!) 北側の登城口(左が権現曲輪、右が三ノ丸、間はもちろん堀跡!) 登城口を少し進んだ先(登城道が整備されていて見学しやすい!) 「三ノ丸」跡(土塁に囲まれた中に、韮山高校のテニスコートがある!) 「三ノ丸」から見た「権現曲輪」(土塁と空堀、良いっすね〜) 登城道の反対側から見た韮山高校(館跡と伝わり「御座敷」という地名が残る) 「権現曲輪」の虎口(石垣は後世のものだが、ワクワク感が止まらない!) 権現曲輪の「熊野神社」の鳥居(奥の一段高い場所が「二ノ丸」!) 鳥居から見た権現曲輪の「熊野神社」(土塁の上に社殿が建っているのが良い!) 熊野神社の由緒(韮山城を居城とした北条早雲が建立したと伝わる) 土塁の上に立つ「熊野神社」の社殿(近年修復されたのか鮮やかで美しい!) 「権現曲輪」と「ニノ丸」の空堀(二の丸と本丸は特に高い位置にある!) 「二の丸」への登城道(韮山高校の部活動の生徒がランニングしてました!) 登った先に広がる「二の丸」(要所要所に幟のぼりが立っていてアガる!) 「二の丸」から見た「本丸」(土塁、虎口、空堀が一望できて良いね〜!) 「二の丸」から見た韮山高校(この方角に源頼朝や北条家ゆかりの地がある!) 本丸側から見た「二ノ丸」(伐採されていて曲輪や土塁の形がよく分かる!) 本丸側から見た土橋や空堀(奥に広がるのが二ノ丸!) 本丸への登城道(攻めるに難く、守るに易く!興奮するアングルですね) 本丸の虎口の手前(6月だったので城下に広がる水田が美しかった!) 本丸の虎口から見た「富士山」の方角(曇っているので見えていませんが…笑) 本丸の虎口(二ノ丸からさらに一段高い場所に築かれている!) 本丸から見た虎口(こちらも整然とした水田が美しいですね〜) 虎口から見た本丸(奥の山々には小田原征伐で豊臣軍が陣を張った跡地がある!) 本丸の南側から見た虎口方面(幟が立っていると雰囲気が出て良いですね!) 本丸から北に伸びる土塁(異名の「龍城」に相応しい龍の体のような形状!) 土塁の先にある「塩蔵」跡(山中城にも似たような空間がある) 「塩蔵」跡から見た土塁(先には本丸跡に立っている幟が見える!) 土塁の途中から見た本丸跡(韮山城の土塁は土の城の美しさを感じられる!) 本丸の下段から見た土塁(通称で「龍の背」と呼んでみるのはどうでしょう?) 本丸の下段から見た西側の景色(土塁や石垣越しに写真を撮るの好き) 本丸から見た西側の景色(左下に源頼朝の配流地と伝わる蛭ヶ小島がある)