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【鶴ヶ城】戊辰戦争、激戦の舞台!蒲生氏郷が築いた“鶴の城”【会津若松城】(福島県会津若松市)

Data

築城:1592年(文禄ぶんろく元年)
築城主:蒲生がもう氏郷うじさと

主な城主:上杉景勝うえすぎかげかつ加藤かとう嘉明よしあき保科ほしな正之まさゆき松平まつだいら容保かたもり
所在地:福島県会津若松市追手おうてまち

所要時間:180分

Point

■1384年(元中げんちゅう元年)に「蘆名あしな直盛なおもり」によって築城されたのが始まりとも
→当初の城名は「ひがし黒川くろかわやかた」と伝わる
◯蘆名家…鎌倉幕府の御家人だった三浦家の一族、先祖は佐原さわらの「佐原義連よしつら
■戦国大名の蘆名家の居城となり「黒川城くろかわじょう」と称される
→蘆名家は1589年(天正てんしょう17年)に「伊達だて政宗まさむね」によって滅ぼされる…
※伊達政宗が城主になるも、翌年の「小田原征伐」で豊臣秀吉とよとみのひでよしが没収
■豊臣秀吉の命で「蒲生がもう氏郷うじさと」が新たな城主となり城郭を大改築!
→天守や石垣を擁した近世城郭となり「つるじょう」(“鶴の城”の意味)と改名
※「鶴」は蒲生氏郷の幼名「鶴千代つるちよ」と家紋「むかい鶴」が由来とされる
→城下も「黒川」から「若松わかまつ」(蒲生氏郷の故郷の名に由来)に改められる
※「会津あいづ」は古くからあった地名
■1598年(慶長3年)に蒲生秀行ひでゆき(氏郷の子)が改易となった後の城主は転々
→「上杉景勝うえすぎかげかつ」が城主になるも「関ヶ原の戦い」の結果、米沢よねざわ城に転封
→蒲生秀行が再び城主になるも、息子の「蒲生忠知ただとも」が伊予いよ松山城に転封
→伊予松山城から「加藤かとう嘉明よしあき」が城主となり、現在残る形に改築
→加藤明成あきなり(嘉明の子)が「会津騒動」を起こして1643年(寛永かんえい20年)に改易に…
■「保科ほしな正之まさゆき」(徳川秀忠とくがわひでただの子)が山形城から移って城主に!
→明治維新まで「会津松平まつだいら家」が城主を務める
◯松平容保かたもり…幕末の会津松平家の当主、京都守護職に就任、新選組しんせんぐみの上司
■1868年(明治元年)に「会津戦争」が勃発し、新政府軍の猛攻を受けた…
→約1ヶ月の籠城戦の末に開城し、戦線はさらに東北・蝦夷えぞへ移っていった
■城下には「会津武家屋敷」「さざえ堂」「飯盛山」「近藤勇の墓」など、
多くの史跡が伝えられている!

パラメーター(5段階)

防御力     ★★★★
映えレベル   ★★★★
知名度     ★★★★
アクセス    ★★★
いつも悪天候度  ★★★★★

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