お城とかの写真集日本100名城山梨県 信玄ミュージアム武田氏館跡歴史館山梨県甲府市日本100名城躑躅ヶ崎館武田信玄武田信虎武田義信武田勝頼武田神社 【躑躅ヶ崎館】武田三代の居城!「人は城、人は石垣、人は堀」【武田氏館】(山梨県甲府市) 山梨県 2022.08.152022.09.24 Data 築城:1519年(永正えいしょう16年)築城主:武田信虎のぶとら(信玄の父)主な城主:武田信玄しんげん、武田勝頼かつより(信玄の子)所在地:山梨県甲府市 古府中こふちゅう町まち 所要時間:120分 Point ■武田家の三代(信虎のぶとら・信玄しんげん・勝頼かつより)が本拠地とした居城 ・1519年(永正えいしょう16年)に「武田信虎」(信玄の父)が新拠点として築城 ・それ以前の武田氏館は「川田かわだ館」(甲府市川田町) ・1582年(天正てんしょう10年)に「武田勝頼」(信玄の子)が「新府しんぷ城」を築いて移転■武田滅亡、信長の死去後は「徳川家康とくがわいえやす」の支配下に! ・「平岩親吉ひらいわちかよし」が城主となって天守台の増築などの改築が行われる ・躑躅ヶ崎館の整備と共に「甲府こうふ城」の築城を計画■1590年(天正てんしょう18年)の「小田原征伐」後に豊臣秀吉の支配下に! ・甲府城(甲府駅周辺)が築城されると「躑躅ヶ崎館」は廃城に■江戸時代に城跡は荒廃し「古城」や「御館跡」と呼ばれる■1919年(大正8年)に信玄を祭神とする「武田神社」が創建される →1871年(明治4年)創建の「上杉神社」への対抗心もあったとか■2019年には「武田氏館跡歴史館」(信玄ミュージアム)がOPEN! パラメーター(5段階) 防御力 ★★映えレベル ★★★知名度 ★★★★アクセス ★★風林火山度 ★★★★★ 館跡ではなく甲府駅南口にある名物の「武田信玄公之像」 甲府駅から館跡に続く「武田通り」(家臣の屋敷跡もあるので楽しい!) 「穴山信君 屋敷跡」(館跡の南隣にあり、博物館が新設された!) 2019年新設の「武田氏館跡歴史館」(通称「信玄ミュージアム」) 館跡から発見された貴重な馬骨のレプリカ(武田氏館跡歴史館の名物展示) 江戸時代前期の「躑躅ヶ崎館跡と城下」(縄張りと家臣の屋敷が記されている!) 歴史館から見た館跡(旗には『甲陽軍鑑』に残る武田信玄の名言が!) 「武田神社」碑の前で記念撮影(奥には水堀や土塁の跡がある) 武田神社の神橋(戦国〜江戸時代には橋は架かっていなかった) 神橋から見た館跡の南側の水堀跡(方形の曲輪にグルッと堀が巡らされていた) 1918年の歴史書の「古府之図」(武田の名臣たちの屋敷跡が記されている) 「古府之図」と照らし合わせた「現代の図」 武田神社のマップ(当時の方形館の形状をよく残しているのが分かる!) 武田氏館跡の案内板(復元図は奥が甲府駅にあたる) 武田神社の鳥居と参道(この時は七五三の時期でした) 境内の「甲陽武能殿」(かつての館の中心部の中曲輪跡に建つ!) 武田神社の拝殿(かつての館の中心部の東曲輪跡に建つ!) 拝殿の東側の「信玄公 御使用 井戸」(武田家時代の本丸の井戸!) 本丸跡の宝物館(有名な「孫氏の旗」など数々の文化財が伝えられている!) 武田氏館の配置図(東曲輪と中曲輪が本丸にあたる) 東曲輪の東南隅の土塁(神社の周囲に土塁がよく残っている!) 武田神社の東側の入り口(実はこちらがかつての大手門!) 大手門の橋から見た堀と土塁の跡(鬱蒼としているが中々の深さ!) 復元された「大手石塁」(武田家の後の時代に築かれた大手口の馬出跡!) 大手の案内板(石塁の下には武田時代の三日月堀も発見された!) 大手から見た「躑躅ヶ崎」(館名の由来となった躑躅の丘!) 整備が進んでいる大手周辺ゾーンの案内板(発掘結果が面白い!) 大手石塁と三日月堀の案内板(神社の参拝ルートじゃないけど行こう!) 境内の奇木「三葉の松」(信玄が信仰していた高野山から飛来したと伝わる) 澄んだ音色が聴ける「武田水琴窟」(中曲輪の社務所前にある) 水琴窟の向かいの「姫の井戸」(震源が姫の産湯に使ったとも) 中曲輪と西曲輪の堀(左手が武田神社がある中曲輪、右手に西曲輪が広がる) 西曲輪から見た中曲輪(両サイドには土塁、奥に武田神社がある) 西曲輪の外堀(右手には梅翁曲輪があった) 「西曲輪」跡(北に向けて段々になっているのが分かる!) 武田神社の創建碑が建つ西曲輪の中心部(紅葉が超綺麗なゾーン) 西曲輪から見た中曲輪&東曲輪の方面(奥に武田神社がある) 西曲輪の北側に残る「枡形虎口」(石塁と土塁がよく残っている!) 紅葉の「枡形虎口」(穴場なのでオススメ!) 枡形虎口の案内板(西曲輪は武田義信の館跡と伝わる!) 枡形虎口と崩れた石垣(城跡感をたっぷり味わえて良い空間!) 枡形虎口の石塁跡(内側には少し小さめの「裏込石」が詰められていた) 土塁から見た枡形虎口(城好きが堪らない空間がここにある!) 逆側の土塁から見た枡形虎口(右手には土橋と味噌曲輪跡が続く) 枡形虎口の土塁から見た中曲輪(崩された石垣跡を見ることができる!) 中曲輪の「天守台」跡(武田神社の境内なので見学は不可) 枡形虎口の北側の「土橋」(土橋って良いよね) 土橋の先の「味噌曲輪」跡(中央右の低い小山が信玄の生誕地「要害山城」) 要害山城の麓から見た甲府盆地(右奥の樹木が館跡!) 「無名曲輪」跡の小道(左手には東曲輪に通じる虎口があった) 北側の小道は通称「お屋形様の散歩道」 東曲輪の東北隅の堀(左手に東曲輪、右手に無名曲輪があった) 大手門ゾーンの南にある「真田幸隆屋敷跡」(幸隆は幸村のおじいちゃん) 真田幸隆屋敷跡を守っていた猫(お勤めご苦労さまです)