大河ドラマ『鎌倉殿の13人』神奈川県 衣笠合戦鎌倉殿の13人神奈川県横須賀市三浦義澄三浦義明三浦義村和田義盛怒田城沼田城吉井貝塚 【怒田城】「三浦一族」のターニングポイントとなった水軍城!(神奈川県横須賀市) 神奈川県 2022.02.132022.08.15 Data 築城:平安時代後期(1000年代後半〜1100年代前半)?築城主:三浦みうら家主な城主:三浦氏(為通ためみちー為継ためつぐー義継よしつぐー義明よしあきー義澄よしずみー義村よしむら)所在地:神奈川県横須賀市吉井よしい所要時間:40分 Point ■衣笠城きぬがさじょうを本拠地とした三浦一族が平安時代後期?に築いた支城 →読みは「怒田ぬた城」、表記は「沼田ぬた城」「奴田ぬた城」とも■当時は城下に入江が広がり海と繋がっていた(舟倉ふなぐらという地名が残る) →強力な水軍衆を率いていた三浦一族の重要な拠点になったとも■1180年(治承4年)「衣笠合戦」において ・和田義盛よしもり(三浦義明の孫)が要害の怒田城での籠城戦を提案 ・三浦義明は「無名の城ではダメだ」と却下され衣笠城の戦いへ →落ち延びた三浦一族は、怒田城の城下から安房あわ(千葉県)へ逃れる■縄文時代の遺跡も発掘され「吉井貝塚」として知られている →主郭の西側から「第1貝塚」、二郭から「第2貝塚」が発掘された! パラメーター(5段階) 防御力 ★★★映えレベル ★★知名度 ★アクセス ★★★貝塚度 ★★★★★ 怒田城の登城口(案内板は「吉井貝塚」の紹介がメイン!) 怒田城の登城道(かつては入江に面していた小高い丘に位置している!) 登城道の先の「吉井貝塚を終身とした遺跡」の案内板(怒田城の空堀の記載も) 主郭の一段下の曲輪(ここから縄文時代の貝塚と竪穴住居が発掘された!) 「貝塚と竪穴住居」の案内板(この後ろから竪穴住居の跡が発見された!) 「第2貝塚」と「怒田城の土橋・空堀」の跡(貝塚と城跡が共存!) 「第2貝塚」の案内板(約4000年前〜7000年前の縄文時代の貝塚だそう) 二郭から主郭を望む(主郭や二郭という呼び方は、私が仮で呼んでいるだけです) 待ってました!「怒田城の案内板」(第2貝塚は土橋と空堀で一部破壊されたそう) 北側から見た空堀・土橋(左手が二郭、右手の一段高い空間が主郭) 土橋から見た二郭・第2貝塚(案内板がたくさん立ってて楽しい) 主郭(ここからも竪穴住居が発見され、北側からは「第1貝塚」が発掘された!) 古墳時代の横穴墓の案内板(西側は久里浜線の工事で削られてしまったらしい) 「第1貝塚」の案内板(4500年〜7000年前の貝塚で、当時は海に面していた!) 主郭から見た久里浜港の方面(久里浜線が走っている麓には、かつて入江が!)