【斎藤氏館 実盛塚】幼き木曽義仲を救った情義の老将「斎藤実盛」の館跡!(埼玉県熊谷市)
2022.02.18
Data
築城:平安時代後期(1100年代半ば)?
築城主:斎藤実盛?
主な城主:斎藤実盛?
所在地:埼玉県熊谷市西野
所要時間:10分
Point
■平安時代後期に武蔵の長井庄(埼玉県熊谷市)を領地とした武士
→出身は越前(福井県)で源氏(源為義・義賢・義朝)に仕える
■1155年(久寿2年)に大蔵館で「大蔵合戦」が勃発して源義賢が討死…
→斎藤実盛は源義賢の2歳の息子「駒王丸」(後の木曽義仲)を逃す
※実盛は襲撃側の源義朝の配下だったが、義賢への恩義を忘れていなかった!
■「保元の乱」「平治の乱」では上洛して源義朝の配下として参戦
→しかし、平治の乱の後に源義朝は家臣に裏切られ暗殺される…
→平清盛ファミリーの平家の全盛期が訪れて、斎藤実盛も平家の配下に
■ところが、1180年(治承4年)の「以仁王の令旨」で源頼朝らが挙兵!
→平家軍の関東の事情通として「富士川の戦い」(静岡県富士市)などに参戦
■そして、1183年(寿永2年)に「篠原の戦い」(石川県加賀市)が勃発
→73歳の老将・斎藤実盛は敵兵に侮られぬように毛を黒く染めて出陣!
→劣勢の中、奮戦するも手塚光盛(手塚治虫の御先祖様)に討ち取られる…
■この戦いの敵軍の総大将が、28年前に命を助けた「木曽義仲」だった!
→木曽義仲は斎藤実盛の首を見て、涙を流したという…
■館跡は同じ熊谷市内の大我井神社や妻沼小学校あたりだったとも
パラメーター(5段階)
防御力 ★
映えレベル ★
知名度 ★
アクセス ★
源平ロマン度 ★★★★★
【斎藤氏館 実盛塚】幼き木曽義仲を救った情義の老将「斎藤実盛」の館跡!(埼玉県熊谷市)