築城:1440年(永享12年)?
築城主:和田親平?
主な城主:松平清康(徳川家康の祖父)
所在地:愛知県安城市 安城町 赤塚
所要時間:90分
■1440年(永享12年)に和田親平が「永享の乱」の対策で築城したと伝わる
◯和田親平…畠山家(足利将軍家の一門)の一族とされる
◯永享の乱…1438年(永享10年)に関東で起きた争い
(鎌倉公方の足利持氏が本家の6代将軍の足利義教と争って敗れた)
※和田親平の一族は、それ以前はすぐ西にある「安城古城」を居城としていた
■1471年(文明3年)に「松平信光」が安祥城(安城城)を奪い取る!
◯松平信光…徳川家康の6代前の先祖
(松平親氏ー泰親ー信光ー親忠ー長忠ー信忠ー清康ー広忠ー徳川家康)
☆泰親の代に岩津に進出して「岩津城」を拠点に、
信光の代に安城に進出して、息子の親忠(安祥松平家の祖)を城主にして、
「親忠ー長忠ー信忠ー清康」の松平4代の居城となる!
■1524年(大永4年)に「松平清康(家康の祖父)」が岡崎に進出して「岡崎城」に移転
→安祥城も松平家の支城として引き続き存続
■1540年(天文9年)に「織田信秀(信長の父)」の攻撃を受けて落城…
→織田信広(信長の兄)が城主に就任
※その後、織田家の勢いに押された松平広忠(家康の父)は今川義元を頼るが、
1547年(天文16年)に人質となるはずだった竹千代(家康)は織田家に送られてしまう…
■1549年(天文18年)に「太原雪斎(崇孚)」が総大将を務める今川軍が逆襲に!
→織田信広を生け取りにして人質交換が行われ、竹千代は今川家の許に
■桶狭間の戦い後に家康と織田信長が同盟を結ぶと一時期廃城になったとも
■1584年(天正12年)の「小牧長久手の戦い」で家康方の陣地の1つとして改築された
■標高図を見て分かる通り、台地の先端に築かれている!
→現在は本丸に「大乗寺」、二の丸に「八幡社」、三の丸に「歴史博物館」がある
◯大乗寺…松平親忠が1489年(延徳元年)に安祥城の鬼門の位置に創建
1792年(寛政4年)に現在建つ本丸跡に移転された
防御力 ★★★★
映えレベル ★★★★
知名度 ★★
アクセス ★★
新幹線で通過度 ★★★★★
































仕事でお世話になっているすずき孔さん)









