大河ドラマ『どうする家康』お城とかの写真集愛知県 大乗寺松平信忠安城市歴史博物館松平清康本多忠豊安祥城の戦い本多忠高徳川家康安城合戦本多忠勝織田信秀安祥城址公園松平親忠今川義元諸国古城之図松平信光織田信広愛知県安城市太原雪斎安祥城太原崇孚安城城小牧長久手の戦い松平長忠 【安祥城】徳川家、飛躍の地!家康の先祖・松平4代[親忠-長忠-信忠-清康]の城(愛知県安城市) 愛知県 2023.01.232023.02.01 Data 築城:1440年(永享えいきょう12年)?築城主:和田親平ちかひら?主な城主:松平まつだいら清康きよやす(徳川家康とくがわいえやすの祖父)所在地:愛知県安城あんじょう市 安城町 赤塚 所要時間:90分 Point ■1440年(永享えいきょう12年)に和田親平ちかひらが「永享の乱」の対策で築城したと伝わる ◯和田親平…畠山はたけやま家(足利あしかが将軍家の一門)の一族とされる ◯永享の乱…1438年(永享10年)に関東で起きた争い (鎌倉公方の足利持氏もちうじが本家の6代将軍の足利義教よしのりと争って敗れた) ※和田親平の一族は、それ以前はすぐ西にある「安城古城」を居城としていた■1471年(文明ぶんめい3年)に「松平信光のぶみつ」が安祥城(安城城)を奪い取る! ◯松平信光…徳川家康の6代前の先祖 (松平親氏ちかうじー泰親やすちかー信光ー親忠ちかただー長忠ながただー信忠のぶただー清康きよやすー広忠ひろただー徳川家康) ☆泰親の代に岩津いわづに進出して「岩津城」を拠点に、 信光の代に安城に進出して、息子の親忠(安祥松平家の祖)を城主にして、 「親忠ー長忠ー信忠ー清康」の松平4代の居城となる!■1524年(大永だいえい4年)に「松平清康(家康の祖父)」が岡崎に進出して「岡崎城」に移転 →安祥城も松平家の支城として引き続き存続■1540年(天文てんぶん9年)に「織田おだ信秀のぶひで(信長の父)」の攻撃を受けて落城… →織田信広のぶひろ(信長の兄)が城主に就任 ※その後、織田家の勢いに押された松平広忠(家康の父)は今川義元を頼るが、 1547年(天文16年)に人質となるはずだった竹千代(家康)は織田家に送られてしまう…■1549年(天文18年)に「太原雪斎たいげんせっさい(崇孚すうふ)」が総大将を務める今川軍が逆襲に! →織田信広を生け取りにして人質交換が行われ、竹千代は今川家の許に■桶狭間の戦い後に家康と織田信長が同盟を結ぶと一時期廃城になったとも■1584年(天正てんしょう12年)の「小牧こまき長久手ながくての戦い」で家康方の陣地の1つとして改築された■標高図を見て分かる通り、台地の先端に築かれている! →現在は本丸に「大乗寺だいじゅうじ」、二の丸に「八幡社はちまんしゃ」、三の丸に「歴史博物館」がある◯大乗寺…松平親忠が1489年(延徳えんとく元年)に安祥城の鬼門きもんの位置に創建 1792年(寛政かんせい4年)に現在建つ本丸跡に移転された パラメーター(5段階) 防御力 ★★★★映えレベル ★★★★知名度 ★★アクセス ★★新幹線で通過度 ★★★★★ 「安祥城址」の石碑(奥は本丸跡に建つ大乗寺) 大乗寺の山門(こちらが安祥城の本丸跡) 山門の脇にある案内板(松平家や安祥城の歴史がまとめられている!) 大乗寺の境内(大乗寺は1489年に松平親忠が鬼門の位置に創建) 山門の内側から見た景色(高台に築かれているのが分かる!) 大乗寺の本殿(大乗寺は鬼門の位置から1792年に移転された) 本丸跡の南西の隅(櫓台だった?土塁の跡が残る!) 本丸跡の西側の「堀平十郎宗正の塚」(堀宗正は安祥城の戦いで討死した武将とも) 本丸跡の西側(麓の曲輪の跡の先に八幡社が建つ二の丸がある) 本丸跡の北側(堀跡の先に博物館などがある三の丸がある) 本丸跡を南側から見上げる(高台&土塁の上にある。左側を行けば二の丸) 大乗寺(本丸跡)の参道にある案内板 案内板のアップ(安祥城の縄張りがよく分かる!) 本丸跡の南側の堀底(右手が本丸、奥に二の丸がある) 「家康の源流 安城松平発祥の地」(地元の想いが伝わってくる!) 本丸と二の丸の間の曲輪の跡ある「安祥城址公園」の入り口と遊歩道 「安祥城址公園」から見た本丸跡(土塁を登ると大乗寺の境内) 「安祥城址公園」から見た曲輪跡(右側が本丸、左側が二の丸にあたる) 公園にあるプチジオラマ 二の丸の「善恵坊の碑」(善恵坊は攻城戦で討死した地元の僧侶) 二の丸跡に建つ「八幡社」(こちらも高台に位置しているのが分かる!) 「八幡社」(松平親忠が安祥城の鎮守の神様として創建したと伝わる) 「安祥城址公園」から見た三の丸(奥の建物が歴史博物館、右側が本丸) 三の丸側から見た南方(右手が二の丸、公園が麓の曲輪、左手が本丸) 二の丸の北側の「姫塚」(安祥城の攻防戦で討死した女性の塚と伝わる) 本丸の北東隅の「切岸」(切岸は直角に切り落とした人工的な崖) 北側から眺めた二の丸 北側から見た安祥城の中心部(右が二の丸、その奥が本丸、左が三の丸の跡) 三の丸に建つ「安城市歴史博物館」(松平家を絶賛アピール中!) 歴史博物館の前の「歴史の散歩道」案内板 歴史博物館の「松平清康」の木像(清康は家康のおじいちゃん!) 「松平4代」パネル(作は仕事でお世話になっているすずき孔さん) 安城松平家の初代「松平親忠」 安城松平家の2代「松平長忠」 復元された「本證寺」の山門(本證寺は家康と戦った三河一向一揆の中心地) 安城松平家の3代「松平信忠」 伊賀八幡宮所蔵の「熊毛兜」の複製(造りは後世の物だが松平親忠が奉納したと伝わる) 安城松平家の4代「松平清康」 城下の「本多忠豊墓碑」(忠豊は本多忠勝の祖父) 「本多忠豊墓碑」(忠豊は1545年の安祥城奪還の戦いの時、この地で討死したという) 本多忠豊墓碑の案内板(1794年に末裔の岡崎藩主の本多忠顕が建立) 安城 三河碧海(諸国古城之図)