お城とかの写真集日本100名城秋田県 さくら名所100選秋田県秋田市久保田城窪田城矢留ノ城佐竹義宣佐竹家千秋公園 【久保田城】石垣も天守も無いのが良い!佐竹家が築いた“土造り”の名城(秋田県秋田市) 秋田県 2022.07.112022.08.15 Data 築城:1603年(慶長けいちょう8年)築城主:佐竹さたけ義宣よしのぶ 主な城主:佐竹家所在地: 秋田県秋田市千秋せんしゅう公園所要時間:180分 Point ■1603年(慶長8年)に「佐竹義宣」によって築城が始まる! →佐竹家は「関ヶ原の戦い」の結果、3年後に水戸城から転封が命じられた■当初は日本海寄りの「湊みなと城」に入るが、城下町拡張のため久保田城を築く →城地には、それ以前に「矢留やどめノ城しろ」と呼ばれる城があったとも (城主は湊城の「安東あんどう家」の家臣だった三浦家)■翌1604年(慶長9年)に本丸が完成して拠点を移す →初名は「窪田くぼた城」で、江戸時代初期に「久保田城」と改められた ※全体の築城工事が終わったのは1631年(寛永かんえい8年)頃とされる■神明山しんめいやまに築かれた平山城ひらやまじろで、西に天然の外堀の旭川あさひかわが流れる■常陸ひたちの佐竹家のお城と同じく石垣をほぼ使用せず、天守も築かれなかった →江戸幕府に遠慮したと考えられる「土の城」■明治維新まで佐竹家が城主を務める(度重なる火災で多くの建築物は焼失) →1896年(明治29年)に長岡安平によって公園として整備され「千秋園」と命名 パラメーター(5段階) 防御力 ★★★映えレベル ★★★知名度 ★★★アクセス ★★★土の城 魅力度 ★★★★★ 秋田駅から西に進むと現れる「大手門」跡(久保田城の東側の入り口) 大手門跡から見た水堀(右手の高台が久保田城跡!) 搦手口から見た東側の水堀(さっきの写真はこの対岸) 搦手口から見た西側の水堀(この水堀の先に穴門があった) 搦手口から久保田城内へ(搦手の門は「中なか土橋どばし門」と呼ばれた) 中土橋門跡の「久保田城跡」碑(後ろは穴門の堀) 「千秋公園」の案内板(久保田城跡は公園として整備されている) 縄張り図としても使える千秋公園のマップ(広小路から城内に入った) 西の「唐金橋からかねばし」跡から見た西側の堀(この先に穴門があった) 土塁に囲まれた「松下門」跡(この先に二の丸、本丸が続いていく) 「久保田城跡」の案内板(縄張り図、ありがたい!) 松下門跡の先には「二の丸」が広がる(役所や蔵、厩うまやなどが置かれた) 「二の丸」跡(かつては佐竹家臣の職場も、今は市民の憩いの場) 二の丸の「佐竹史料館」(安楽院や勘定所、境目方役所などがあった) 二の丸の虎口の土塁(奥の入り口は松下門跡に繋がる) 二の丸から本丸に続く「長坂」(土塁と屈折した登城道が堪らん!) 長坂から見た二の丸方面(右側が松下門に繋がる登城道、左側が二の丸) 「長坂門」跡(土塁の下に腰巻石垣[下段だけの石垣]!) 長坂門跡を上段から(土塁で囲まれた枡形虎口がめっちゃ良い!) 長坂門の先にある「御物頭おものがしら御番所ごばんしょ」(18世紀後半に建造された文化財!) 「御物頭御番所」の案内板(城内に残る唯一の現存建築物!) 「御物頭御番所」の内部(ここに佐竹家のお侍さんがお勤めしていた!) 再建された「表門」(絵図や発掘調査によって復元された!) 別アングルの「表門」(本丸への重要な城門で「一ノ門」とも呼ばれた) 「久保田城表門」の案内板 表門の案内板にある「本丸の図」(かつては御殿が築かれていた!) 表門の礎石(お城好きは礎石が大好き!) 表門の礎石の案内板(再建の時にすぐ近くに移されている) 「本丸」跡(二の丸跡より広い空間が広がる!) 「本丸跡」の案内板(城地の神明山は「三森山みつもりやま」とも呼ばれた) 1859年[安政6年]の本丸の絵図(本丸御殿の間取りがよく分かる!) 本丸跡から見た表門(久保田城の表門はカッコいい!) 本丸跡の「八幡秋田神社」(初代 義宣よしのぶ、9代 義和よしまさ、10代 義堯よしたかを祀る) 本丸跡の「与次郎稲荷神社」(佐竹義宣の飛脚となった狐「与次郎」を祀る) 本丸跡の「佐竹義堯よしたか 公銅像」(佐竹義堯は久保田藩の最後の藩主) アップの佐竹義堯像(佐竹義堯は戊辰戦争で新政府軍に従った) 「御お出だし書院」跡(本丸の南西の隅に築かれた天守の代用となった櫓跡) 「御出し書院」跡2(天守でなく書院風の二階建ての櫓があった!) 明治初期の古写真(穴門橋の右上に御出し書院、左奥に御隅櫓が見える!) 「埋うずみ門」跡(本丸の西側にあった重要な城門のひとつ!) 埋門跡の先の一段下の曲輪(左の土塁の先に御出し書院跡がある) 御出し書院跡の麓の茶室「宣庵」(1953年に建造) 茶庭の手水鉢ちょうずばち(加藤清正が朝鮮から持ち帰り、石田三成を経由して佐竹家に贈られたと伝わる) 本丸の「多門長屋」跡(土塁の上に長屋状の多聞櫓が続いていた!) 再建された「御隅櫓」(上の展望階は当時は存在せず付け足したもの) 「御隅櫓」の案内板(兵具の保管場所だったので別名は「新兵具隅櫓」) 御隅櫓にある久保田城のジオラマ(大手門方面から見たアングル) 久保田城のジオラマ2(北側から見たアングル) 久保田城のジオラマ3(搦手口の「中土橋門」の周辺) 久保田城のジオラマ4(東側の唐金橋・黒門・二の丸の周辺) 久保田城のジオラマ5(二の丸・長坂門・表門・御出し書院の周辺) 久保田城のジオラマ6(御隅櫓の周辺) 御隅櫓から見た西の景色(尾根の先に日本海がある!) 御隅櫓の北の景色(麓の明徳小学校には八幡神社や祈願寺の一乗院があった) 御隅櫓から見た本丸跡(右手の土塁の上に多門長屋が築かれていた) 本丸跡の北の入り口「帯曲輪門」跡(一段下の帯曲輪に通じる城門) 「帯曲輪門」跡から見た本丸方面(鬱蒼とした土塁と屈折した道が良い!) 本丸跡の「御鷹屋御番所」跡(奥は割烹料理屋の「香雲亭」) 本丸の東の入り口「裏門」跡(奥が本丸、手前の道を降ると二の丸跡) 二の丸跡の「胡月池」(江戸時代にはなく、公園になってからのもの) 二の丸の東の入り口「黒門」跡に続く道(こちらも屈折してて良い!) 「黒門」跡(奥が二の丸、手前が三の丸) 東の唐金橋から見た水堀(右手に黒門跡、奥がスタート地点の大手門跡)