大河ドラマ『鎌倉殿の13人』埼玉県 鎌倉殿の13人畠山重忠畠山重能埼玉県深谷市畠山館秩父氏畠山重忠公史跡公園 【畠山館】“坂東武士の鑑”「畠山重忠」の生誕地!【畠山重忠公史跡公園】(埼玉県深谷市) 埼玉県 2022.02.272022.08.15 Data 築城:平安時代後期(1100年代前半)?築城主:畠山はたけやま重能しげよし(重忠しげただの父)?主な城主:畠山重忠所在地:埼玉県深谷ふかや市畠山所要時間:30分 Point ■鎌倉幕府の有力な御家人ごけにん「畠山重忠」の生誕地と伝わる館跡! →現在は「畠山重忠公こう史跡しせき公園」として整備されている ※公園内には墓石や産湯うぶゆの井戸など畠山氏ゆかりの史跡が残る!■築城したのは“畠山氏の祖”である畠山重能しげよし(重忠の父)? →畠山氏は現・埼玉県秩父ちちぶ市吉田町を拠点とした秩父氏の一族◯主な秩父一族『江戸えど氏』 居城は江戸氏館(江戸城)。喜多見きたみ氏と改名して江戸幕府の旗本に。『河越かわごえ氏』 居城は河越氏館。源みなもとの義経よしつねの正室(郷御前さとごぜん)は河越氏の出身。『高山たかやま氏』 拠点は現・埼玉県日高ひだか市高山。戦国大名の高山右近うこんは末裔とも。『豊島としま氏』 居城は石神井しゃくじい城や練馬ねりま城など。太田道灌どうかんに滅ぼされる。『葛西かさい氏』 豊島氏の一族。奥州おうしゅう総奉行そうぶぎょうに任命され、東北の名門戦国大名に。『渋谷しぶや氏』 拠点は現・神奈川県大和やまと市渋谷。居城は渋谷城など。『東郷とうごう氏』 薩摩に移った渋谷氏の一族。末裔には海軍軍人の東郷平八郎へいはちろう。『伊地知いぢち氏』 現・福井県勝山かつやま市伊地知に由来。大隅おおすみに移り島津しまづ家の家臣に。■ちなみに、畠山重忠は1205年(元久げんきゅう2年)に北条氏の陰謀いんぼうにより討死 →未亡人みぼうじんとなった畠山重忠の正室(北条ほうじょう時政ときまさの娘)は足利義純よしずみに再嫁 →足利義純は足利氏(後の室町幕府の将軍)の一族で「畠山氏」を名乗る →室町幕府で三管領さんかんれいと称された有力大名のNew・畠山氏の始まり!■畠山重忠の館と伝わる場所は、他に「菅谷館すがややかた」(埼玉県嵐山らんざん町)がある! パラメーター(5段階) 防御力 ★映えレベル ★知名度 ★★アクセス ★★畠山重忠愛 ★★★★★ 「畠山重忠公史跡公園」の入口(永田駅から徒歩30分近くかかるので頑張って!) 公園入口の「畠山重忠 墓」の案内板(地名の「畠山」が畠山氏の名字の由来!) 「畠山重忠公史跡公園」の標柱(名前に後ろに“公”が!まさに地元の英雄!) 公園の名物「畠山重忠公之像」(一ノ谷の戦いで馬を背負った逸話がモチーフ!) 銅像を少しアップで(崖を駆け降りる時に愛馬を労って背負った逸話が有名!) 銅像を下から(実は史実だと一ノ谷の戦いに畠山重忠さんはいなかったっぽいw) 銅像を後ろから(江戸時代では歌舞伎などに描かれて人気武士キャラに!) 「銅像建立記念碑」(子孫と伝わる全国の畠山さんなどが寄付をしたらしい!) 「畠山重忠公 産湯の井戸」(江戸時代には2ヶ所伝わっていたそう!) 「産湯の井戸」をアップで(石垣の修復に板碑が使われてしまっているw) 畠山重能しげよし・重忠親子や家臣の墓(地元の方々によって大切に伝えられている!) 「畠山重忠公の墓」の案内板(父の重能しげよしや息子の重秀しげひでのことも紹介されている!) 「畠山重忠公 墓 並 館跡」(お墓は屋内に大事に置かれている) 「伝・畠山重忠 墓」(中央の五輪塔が畠山重忠のお墓と伝えられている!) 合計6基の畠山重忠主従の墓(左側は家臣の本田ほんだ親常ちかつねの墓と伝えられている) 「畠山重忠 墓」の案内板(鎌倉時代後期〜室町時代に造られたと考えられている) 嘉元2年[1304年]の石塔婆(畠山重忠の100回忌のために建立されたと伝わる) 「畠山庄司しょうじ重能しげよしの墓」(重忠の父・重能の墓と伝わる自然石。こちらは屋外w) お墓の裏の景色(館跡の痕跡を探したくなるのが、お城好きの性さが) お墓の裏を別アングルで(段差があるけども残念ながら堀や土塁の跡ではないはず) 「畠山重忠公没後800年慰霊碑」(公園内には記念碑が立ち並び、地元の方々の畠山重忠さんへの崇敬の念が感じられる!)