【堀越御所】戦国時代の始まり!「北条早雲」討ち入りの地(静岡県伊豆の国市)
2022.05.19
Data
築城:1458年(長禄2年)
築城主:足利政知
主な城主:足利茶々丸、足利潤童子
所在地:静岡県伊豆の国市四日町
所要時間:30分
Point
■堀越公方「足利政知」の御所の跡地と伝わる!
・堀越=この辺りの地名 ・公方=将軍の意味(中国風の言い方)
■「足利政知」→関東の統治のために派遣された足利将軍家の一族
・6代将軍:足利義教の息子
・7代将軍:足利義勝の弟 ・8代将軍:足利義政の兄
■当初の関東の統治も足利一族だったが、徐々に本家の将軍家と対立
※鎌倉を拠点にしたので「鎌倉公方」と呼ばれた
・1438年(永享10年)「永享の乱」
→鎌倉公方「足利持氏」が将軍「足利義教」の討伐を受けて自害
・1454年(享徳3年)〜1483年(文明14年)「享徳の乱」
→足利持氏の子「足利成氏」が発端となって関東全体が戦乱に
※足利成氏は鎌倉を追われ古河を拠点にし「古河公方」と呼ばれる
■弟の8代将軍「足利義政」が関東の戦乱を治めるため、
1458年(長禄2年)に僧侶だった「足利政知」を現俗させて鎌倉に派遣!
→しかし、戦乱で鎌倉に入れず伊豆の堀越に留まり「堀越公方」に
■ところが、足利政知の死後に息子たちの間に御家騒動が勃発!
→兄・足利茶々丸が、弟・足利潤童子と母・円満院が暗殺する…
■1493年(明応2年)に「北条早雲」(伊勢宗瑞)の討ち入りで堀越御所は陥落
→足利茶々丸は甲斐に逃れた後に捕縛され、自害に追い詰められた
※同年に京都では「明応の政変」が起きていて、
足利茶々丸・潤童子の兄弟の「足利義澄」が11代将軍に就任している
(北条早雲の伊豆討ち入りは京都のクーデターと連動した可能性も!)
パラメーター(5段階)
防御力 ★
映えレベル ★
知名度 ★
アクセス ★★
関東戦国史沼度 ★★★★★
【堀越御所】戦国時代の始まり!「北条早雲」討ち入りの地(静岡県伊豆の国市)