築城:1334年(建武元年)
築城主:南部師行
主な城主:清心尼(八戸ねね)
青森県八戸市根城
所要時間:2時間
■陸奥(東北地方)で最大の勢力を誇った「南部家」のお城の1つ
→南部家は一族の◯◯家がたくさんあってややこしい…苦笑
⇒「根城」は「根城南部家」(遠野南部家)と呼ばれる一族の居城
■1334年(建武元年)に「南部師行」が築城と伝わる!
(それ以前に工藤家[ルーツは鎌倉幕府の御家人]の館があったとも)
◯「南部師行」
・鎌倉時代末期〜南北朝時代(室町時代初期)の人物
・鎌倉攻めに貢献して後醍醐天皇の「建武の新政」で重臣に
・南朝の“根本の城”となる願いを込めて「根城」と命名したとも
・「石津の戦い」(大阪府堺市)で足利尊氏方の北朝軍に敗れ討死
■南部家は東北のイメージが強いが、元の領地は甲斐の南部(山梨県南部町)
→南部家の祖「南部光行」は武田信義の甥(従兄弟とも)にあたる
→のちに領地の一つだった陸奥に移って戦国大名化していく
■南朝に味方していた根城の南部家は徐々に勢力が低下…
→代わりに勢力を伸ばしたのが「三戸(青森県三戸町)の南部家」
※居城は「本三戸城」(聖寿寺館)→「三戸城」→「九戸城」→「盛岡城」
■根城南部家は南部の本家だったと考えられるが、三戸南部家の傘下に…
→「八戸」を名乗って三戸南部家の重臣に名を連ねる
■1614年(慶長19年)に当主と跡取りが急死してしまう…
→“女城主”の「八戸ねね」(清心尼)が誕生!!
※のちに同族の「八戸直義」を娘婿に迎えて家督を継がせる
■1627年(寛永4年)に「鍋倉城」(岩手県遠野市)に移され、根城は廃城に
→「遠野南部家」と呼ばれるようになり、明治維新まで領主を務める
防御力 ★★
映えレベル ★★★
知名度 ★★
アクセス ★★
南部家カラー ★★★★★








































![中馬屋の白馬(当時の体高[肩までの高さ]は約1.3mと小さかったそう)](https://rekishi-kun.com/wp-content/uploads/2022/05/IMG_5555-1024x768.jpg)









