■衣笠城を本拠地とした三浦一族の「佐原家」の居城
→築城したのは「佐原義連」(三浦義明の子)と伝わる
※三浦家…三浦義明ー義澄ー義村ー泰村
■三方面を崖に囲まれた小高い丘の上に築かれたらしい
→かつて東側には入江が入り込み、海(久里浜)に通じていた
→対岸に築かれた怒田城と共に海に通じる支城として機能
※標高差の分かる地図で立地を読み解くとエモい!
■丘の上からは弥生時代の遺跡も発見!
→佐原城の遺構は残されていないので、規模や構造などは不明
■佐原義連は「奥州合戦」の功績で陸奥国の会津(福島県)に領地を得る
→蘆名光盛(義連の孫)が「蘆名」を名乗る
→末裔が会津へ移住、居城は黒川城(後の会津若松城[鶴ヶ城])
※蘆名家は1589年(天正17年)に伊達政宗に滅ぼされる…
■ちなみに「蘆名」の由来は、三浦半島の西岸の地名
→そちらにも三浦一族の支城の葦名城という城があった