続日本100名城大河ドラマ『鎌倉殿の13人』埼玉県

【菅谷館】戦国時代に大改築された“坂東武士の鑑”「畠山重忠」の居城!(埼玉県嵐山町)

Data

築城:平安時代末期〜鎌倉時代初期?
築城主:畠山はたけやま重忠しげただ
主な城主:畠山重忠、山内やまのうち上杉うえすぎ家、北条ほうじょう
所在地埼玉県比企ひきぐん嵐山町らんざんまち菅谷すがや
所要時間:2時間

Point

■鎌倉幕府の有力な御家人ごけにんとなった畠山はたけやま重忠しげただの居城と伝わる
    →『吾妻鏡あずまかがみ』などに登場する菅谷すがややかたと考えられている
     ※発掘物などで確定する史料は発見されていないので伝承ベース
■畠山重忠は1205年(元久2年)に北条ほうじょう時政ときまさの陰謀で滅ぼされる
    →「畠山重忠の乱」を起こし二俣川ふたまたがわの戦い」で討死
■畠山重忠は後に“坂東武士の鑑”と称される人気の御家人だった
    →北条時政が失脚する事件(牧氏の変)に繋がっていく
■城郭として本格的に整備されるのは戦国時代
    →山内やまのうち上杉うえすぎが整備して、北条家がさらに大改築したと考えられる
    →本郭を取り囲む曲輪や大規模な土塁や堀は戦国期の遺構と考えられる

     ※戦国時代の北条家は、鎌倉時代の北条家とは別の小田原城の北条家
■杉山城・松山城・小倉おぐら城と共に「比企ひき城館じょうかん跡群あとぐん」として「国の史跡」
■またぞく日本100名城」にも選ばれている
    →「館」という呼称ではなく「菅谷じょうとも呼ばれている
■畠山重忠の館と伝わる場所は、他に「
畠山館はたけやまやかた」(埼玉県深谷ふかや市)がある

パラメーター(5段階)

防御力     ★★★
映えレベル   ★★
知名度     ★★
アクセス    ★★
畠山重忠愛      ★★★★★

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