大河ドラマ『鎌倉殿の13人』神奈川県 源頼朝鎌倉殿の13人北条義時神奈川県小田原市大庭景親伊東祐親北条宗時 【石橋山古戦場】源頼朝、大惨敗!北条宗時・佐奈田与一らが討死…(神奈川県小田原市) 神奈川県 2022.02.152022.08.15 Data 発生日:1180年(治承じしょう4年)8月23日指揮官:源頼朝● vs ◯大庭景親・伊東祐親所在地:神奈川県小田原市石橋いしばし所要時間:60分 Point ■伊豆の蛭ヶ小島ひるがこじま(静岡県伊豆の国市)に流刑るけいとなっていた源みなもとの頼朝よりとも →8月17日に挙兵して平家方の山木やまき兼隆かねたかの館を襲撃して討うつ! ※同日に山木兼隆の後見役だった堤つつみ信遠のぶとおも討ち取られる■源頼朝が頼りにしていた三浦一族(居城は衣笠城きぬがさじょう)と合流を図り東へ →大庭おおば景親かげちか率いる3千の平家軍が迎撃し「石橋山いしばしやまの戦い」が勃発 →約300の頼朝軍は大惨敗を喫して北条ほうじょう宗時むねとき(義時よしときの兄)などが討死 ※背後を伊東いとう祐親すけちか軍に塞がれ、三浦軍は酒匂川さかわがわの増水で合流できず■敗走した源頼朝は椙山すぎやまの洞穴に身を隠す(しとどの窟いわやが伝わる) →そして、再起を図るため真鶴から安房の猟島りょうしまへ小舟で渡る!■古戦場には討死した頼朝軍の佐奈田さなだ与一よいちゆかりの佐奈田霊社れいしゃなどがある 「石橋山古戦場」碑(小田原名物のミカン畑に囲まれた場所に立つ!) 古戦場の石碑を別アングルから(左手がミカン畑で、奥が佐奈田さなだ霊社れいしゃの駐車場) 石碑の場所から見た相模湾さがみわん(この辺りは鉄道好きの撮影スポットとしても有名) 南側から石碑を望む(この先を進めば小田原城、左側には石垣山城がある!) 「ねじり畑」に向かう途中から見た相模湾(電車が通過中!) 「佐奈田与一よいち義忠よしただ 討死の地[ねじり畑]」(佐奈田与一の討死の地と伝わる) この畑の作物は全てねじれてしまうことから「ねじり畑」と呼ばれている(佐奈田与一が敵をねじ伏せたことからかな?) ねじり畑の近くの残念石(江戸城築城の際に?使用されなかった刻印のある石垣) ねじり畑の南にある「文三堂」の参道(江戸時代に奉納された石碑が立ち並ぶ) 「文三堂ぶんぞうどう」(佐奈田与一の郎党ろうどうで討死をした陶山すやま文三家康いえやすが祀られている) 佐奈田与一を祀る「佐奈田霊社」から見た相模湾(古戦場から一段高い場所にある) 佐奈田霊社の「与一塚」(この地に佐奈田与一が葬られたと伝わる) 佐奈田霊社の案内板(源頼朝は10年後に与一と文三の墓を訪れて涙を流したという) 佐奈田霊社の本殿(佐奈田与一の命日の8月23日には大祭が行われている) 佐奈田与一は痰が絡んで仲間を呼べずに討死したと伝わることから、喉にまつわる祈願所として江戸時代には聖地に!